葬儀用語集

・後飾り
葬儀が終了し、四十九日法要が行われる忌明けまでの間、ご遺骨を安置する祭壇のことを、 「後飾祭壇(あとかざりさいだん)」といいます。

後飾りをする場所は、仏壇がある場合は仏壇の前に、仏壇が無い場合は部屋の北もしくは西に 置くのがしきたりとなっています。
祭壇は二段か三段の小さな机などに白い布をかけて祭壇を作り、上の段にご遺骨を安置し、下の段に遺影や位牌、香炉、燭台(しょくだい)、線香、お供え物やお供えの花、おりんなど を置くようにします。

四十九日の法要が終わると後飾りの祭壇は必要なくなりますので、不要になった祭壇はご遺族の手で処分していただいても問題ありません。
ゴミとして処分することに抵抗がある場合は、仏壇専門店に依頼すれば適切に処理をしてくださいますが、有料になるということを覚えておきましょう。

四十九日まで供養してきた白木位牌は菩提寺に返し、新たに位牌を準備し、ご住職に「魂入れ」を していただき、その後は仏壇に入れ、供養します。
 

・案(神道)
「案(あん)」とは、神式のご葬儀に使用される白木でできた小机や台のことをいい、玉串(たまぐし)を乗せるための玉串案。
お供え物に当たる食物を乗せる餞案(せんあん)というように、その台の上に乗せるものによって 呼び名も変わります。

神式の場合、仏式でいう「枕飾り」と同じ意味のものが「枕直し」と呼ばれるものです。
この枕直しに必要なものを置く小机を「白木八足の案」といいます。
「白木八足の案」の机は、左右4本ずつ、合計8本脚になっているのが特徴であるといえます。
この机の上には、榊を飾り、米、水、お神酒を供え、このほかに守り刀と呼ばれる小袋に入れた小さな刃物を置きます。

「常饌(じょうせん)」と呼ばれるお供え物は、生前故人が使用していた茶碗などの食器に故人が普段から食べていたものをお供えします。
神道では、お肉や魚が好きだった故人に対し、お肉や魚などをお供えしても差し支えることは一切ありません。
この枕直しが整えば氏子(うじこ)になっている神社に連絡を取ります。
 

・安置
「安置(あんち)」というのは、故人が亡くなり葬儀の日までご遺体を寝かせておくことのことを いいます。

ご遺体の安置場所としてはやはりご自宅が多いようです。
しかし、何らかの理由で葬儀まで時間がかかる場合や住宅事情によりご自宅で安置できない場合は、葬儀式場や火葬場の霊安室でご遺体を安置することもできます。
また、ご遺族も一緒に宿泊することができる「一時安置サービス」を提供する葬儀社もありますので利用するのもいいでしょう。

納棺までの間、ご遺体は頭を北に向けて寝かせる「北枕」で安置します。
北枕にはお釈迦様が悟りの境地に入られたとき、頭を北にして寝たというところから北枕に安置しますが、住宅の事情で北枕で安置できない場合は、極楽浄土があるといわれる西に頭を向けて安置しても問題はありません。
 
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・遺影
正式には、亡くなった故人を偲ぶために作られた写真や肖像画のことを「遺影(いえい)」といいます。

遺影は葬儀のときに祭壇に飾られる故人の写真は、ご遺族が生前の写真の中から選んだものを 25.4cm×30.5cmの四つ切サイズに引き伸ばしたものを使います。

最近では写真の加工技術もかなり進んでおり、集合写真の中から、故人だけを抜き取ったり、背景を変えたり服装を修正したりもできます。
今まではモノクロの遺影が一般的でしたが、最近では故人の生前の自然な姿そのままを偲ぶことができるようにカラー写真が使われるようになりました。また、額も自由に選べるようになりました。
 

・遺産
亡くなった方が生前に所有していた預貯金や土地・家・証券など、経済的な価値のあるもので金銭に換算できるものを「遺産(いさん)」といいます。

亡くなった方がもっていた電話加入権や著作権なども遺産と考えられます。
また死亡保険金や死亡退職金などは相続財産として考えられます。

亡くなった方の財産は、民法などの法律で配偶者・子供・兄弟等へと相続の権利が移ります。
死亡届が役所等に提出されてしまうと、亡くなった方の預貯金はすでに「遺産」となり、いくら遺族であっても相続の手続きをしていない限り銀行等の金融機関から引き出すことは一切できません。
 

・遺族
遺族(いぞく)」というのは、亡くなった方の遺された家族のことをいいます。
亡くなられた方が、独身や未成年などであれば、その親や兄弟姉妹などの親族で、既婚者の場合は、その配偶者、子供、孫、配偶者の家族が一般的に「遺族」と呼ばれています。

法律の改正によって、遺族の考え方も変わってきており、恩給が受け取れる恩給法ではなくなった方の配偶者や、子供、その父母兄弟姉妹となりますが、労働基準法ではその労働者の死亡した当時、生計を共にしてきていた内縁関係の配偶者も遺族として考えられるようになりました。
 

・遺骨迎え
「遺骨迎え(いこつむかえ)」というのは、葬儀終了後火葬場で火葬が終わり、遺骨になった故人を自宅に迎え入れることを言います。

その後菩提寺の僧侶を迎え、「遺骨迎えの儀」を行います。
「遺骨迎えの儀」は、後飾りをした祭壇に安置し、僧侶にお経をあげていただき、遺族が焼香することを言いますが、中には寺院で「遺骨迎え」をされるところもあります。
宗派によっては後飾りの祭壇に安置することなく、すぐに仏壇に納めることをする場合もあります。
火葬場から戻ってきた遺族が、家の中に入る前には火葬場に同行しなかった遺族以外の人から、ひしゃくで水を汲み両手を洗い清めてもらい、肩から背中にかけて塩をふってもらう「お清め」をして自宅に入ります。
宗派によっては、塩を踏む「踏み塩(ふみじお)」をして自宅に入るという形をとる場合もあります。
お清めが終わった遺族とご遺骨は自宅に無事に戻ることができるのです。
 

・家墓
「家墓(いえはか)」はその家の先祖から受け継がれた墓のことです。
「○○家先祖代々墓」や「○○家乃墓」などと記されている墓が多くみかけられます。
家墓を継ぐのは、その家の家長や長男、家を代表して供養をしたりする者が墓の管理をします。
 
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・位牌
位牌は、元々は中国の儒教(じゅきょう)に由来するもので、鎌倉時代に禅宗の僧が日本に持ちこんだといわれています。

位牌は、表に戒名(かいみょう)を刻み、裏には没年月日、享年(きょうねん)、俗名(ぞくみょう)=生前呼ばれていた名前を刻みます。黒の漆塗りのものを使いますが、葬儀が終了し、四十九日の法要が終わるまでは白木の位牌を使います。

四十九日法要が終わるまでに本位牌を準備しておき、菩提寺の僧侶によって開眼供養をしていただき、本位牌に魂を入れていただきます。四十九日法要まで使用していた白木の位牌は、菩提寺に預かっていただくのが一般的です。

黒の漆塗りの位牌が一般的な位牌とされていましたが、最近では生活様式も変化していることから位牌もインテリア感覚のものも作られるようになりました。

仏壇に位牌を納める場合、宗派によって異なりますがご本尊より下段というのが基本になります。
位牌には亡くなった故人の魂が宿るといわれており、いつも丁寧な手入れを心がけるようにします。
 

・引導
「引導(いんどう)」というのは、説法等で「仏の道に引き導く」といいます。
本来ならば生きている人に対して説法として話聞かされた言葉でしたが今では、亡くなった方がちゃんと成仏し悟りを持ち浄土へ旅立ち仏の道に導かれてほしいという思いをこめて亡くなった方へ使っています。

葬儀の際に行われる「引導渡し」は、読経が全て終わった後に僧侶から「引導渡し」の文言が読み上げられます。これは、亡くなった方に対して「あなたはもうこの世での役目を充分に果たした。
あなたはもうこの世の俗世間のことに煩わされることなくその迷いを断ち切り迷うことなく浄土へ向かい仏道に帰依(きえ)しなさい」という意味合いをこめた言葉を送ります。

引導渡しの作法は、宗派によりさまざまな形がありますが、亡くなった方を弔う(とむらう)葬儀の中では最も重要な過程になります。
 

・忌払い
忌払い(いみばらい)の意味は四十九日が過ぎて忌明けとなり、普段の食生活に戻るということを 示していましたが、今では違った意味として使われています。

今は、葬儀のときにお世話になった方々へのお礼の膳として設ける席のことを意味しています。
その席で出す料理のことを「忌払い」というようになりましたが、最近ではこの「忌払い」という言葉より「精進落とし(しょうじんおとし)」という言い方のほうがよく耳にするでしょう。
呼び方は変わってはいますが、亡くなった方の安らかな成仏を願いそのために「殺生」をつつしみ、命を尊ぶという心にはなんら変わりはありません。
 

・一膳飯
「一膳飯(いちぜんめし)」というのは、亡くなられた方を安置しご遺体の枕元に飾る枕飾り(まくらかざり)という祭壇にお供えするものの中にお亡くなりになられた方がこの世で最後の食事をするという意味をこめてお供えされたもののことを言います。

「一膳飯」は「枕飯(まくらめし)」とも言われ、亡くなられた方が生前使っていたお茶碗にごはんを丸く大盛りによそい、同じように生前使用されていたお箸をごはんの中央に垂直につきたててお供えします。

お茶碗に盛られたごはんは魂をあらわしており、お箸は霊魂の依り代と考えられているといいます。
一膳飯をお供えする時は必ず新しいお米を一合炊いて作ります。炊飯ジャーなどに米一粒も残らないように、すべてごはんをお供えします。これは「亡くなった方のために用意したごはんで生きているものが食べるものではない」という意味があるところから由来しているといわれます。

一膳飯に関してはいろいろな考え方もありまた、宗派や地域によっては一膳飯をお供えしないというところもあります。
 

・一蓮托生
「一蓮托生(いちれんたくしょう)」は、今では行動を共にするときに使われる言葉ですが、あまりよい結果が得られないときに使う言葉として知られています。

本来「一蓮托生」とは、仏教用語で「人は死んだ後、極楽浄土で同じ蓮(はす)の花の上に生まれ変わる」という意味があります。

仏教には欠かせない花として蓮を思い浮かべることがありますが、蓮を多く用いられるにはちゃんとした理由があります。蓮の花は、泥水の中で生息し綺麗な花を咲かせます。
この泥水が私たちが生きている俗世間と考え、その中で美しく咲く蓮の花は、悟りの境地を象徴しているといわれていています。
周りから見ると汚い泥水の中という環境であっても蓮の花はそんな中でしか生息し綺麗な花を咲かすことはしません。
私たち人間も、多く悩み苦しむドロドロのような人生に身をおいて一生勉強し続けるものであるからこそ、悟りへと導かれるのだと考えられます。だからこそ蓮の花は「神聖な花」なのだといえるでしょう。
 

・院号
「院号(いんごう)というのは、社会的に大きな貢献をして功績を残した人や身分や地位が相当に高い人や、寺の建立などを行ったり寺院に尽くした人に贈られる特別な戒名(かいみょう)のことをいいます。院号の最高位は「院殿」その次が「院」となります。

位牌にかかれる戒名をみてみると漢字がいくつも書かれています。
本来、「あの世に行けば身分の高低など関係なくみな平等」という考えから戒名はすべて2文字でしたその後院号、道号、位号が加わり文字数も増えましたが、総称として全て戒名と呼びます。
「□□院殿△△○○居士」という戒名の場合、□□院殿が院号で、△△が道号、○○が戒名で居士が位号になります。
道号は仏教を会得した特別な人に贈られる尊称で、中国から伝わり日本に入ってから戒名の上に付けられるようになりました。
戒名の下に付けられる位号は性別や年齢を表します。
戒名というのは、亡くなった方の生前の行いに対して贈られる名前で、文字数が多ければ成仏しやすいなどというのは一切の迷信です。
 

・一周忌法要
故人が亡くなってからちょうど一年後に行う法要のことを一周忌法要(いっしゅうきほうよう) といいます。

この法要は、菩提寺の僧侶より読経をいただき、焼香、法話、会食という流れで行います。
この一周忌法要のときにお墓参りをするのが一般的で遺族の方々はこの法要を持って喪あけとなります。法要の会場は、自宅や寺院で行います。

一周忌法要は祥月命日(しょうつきめいにち)に行うようにしますが、その日に行うことが難しいなら必ず命日より前に一周忌法要を行うようにしてください。日程が決まったら菩提寺に法要の依頼をします。そして参列をお願いしたい人に連絡を取ります。遅くとも法要の1ヶ月前までには連絡を済ませるようにしましょう。法要での会食は以前よりこだわりというものはありませんが、やはり法要の席にあったものを出すようにしたほうがいいでしょう。

会食の場に僧侶が退席される場合は、「御膳料」を用意し、お車代と一緒に渡します。
お布施には決まった金額はありませんが、それまでの菩提寺との付き合い方でおのずと金額はわかってくるものでしょう。お墓参りもするので、墓掃除も忘れずに行っておくべきでしょう。
 

・インターネット葬
インターネット葬は、インターネットを通して、葬儀会場から中継される葬儀を見守るということができるものです。

亡くなった故人と親しい間柄でありながら、遠方に住んでいるために葬儀に駆けつけることができない場合や、ケガなどで入院していて葬儀に参列できないなどという様々な理由から葬儀に参列できない場合、パソコンの向こうから中継される葬儀を見守りながら、気持ちは葬儀に参列して故人の冥福を祈るということができます。
 

・忌む
忌む(いむ)「忌」というのは、「きらい避ける」「遠ざける」という意味があります。

喪中も忌中も故人を追悼し身を慎む期間というのになぜ字を使い分けるのでしょうか。
これは親族に不幸があったことで元気がなくなり「気枯れた状態」なので外の人たちと接触しないで慎みなさいという強制の意味を持ったものが「忌」なのです。
「喪」は自らの意思で故人のために行動を慎むことをしますが「忌」は、自分の内面が落ち込んでいる状態なので、この2つの字を使い分けているのです。
 

・氏子 (神道)
氏子(うじこ)とは、神道を信仰している信者のことを総称して「氏子(うじこ)」と呼びます。

氏子が臨終を迎えて故人となったらすぐに、神社に連絡を入れ争議の準備をします。
神道の葬儀は仏式の葬儀とは異なり、本来であれば氏子である故人が生まれ育ちその土地を 守護している神様がいらっしゃるという神社である産土神(うぶなすがみ)で行われるのですが、すでに生まれた土地を離れて遠くに住んでいる場合はその土地の神社に連絡を入れます。

昔から人々が暮らす土地には神社が存在し、その神社で祀られている神様を 「氏神様(うじがみさま)」と呼び、心のよりどころにしてきています。
各地域にはその地域を守護する氏神様があり、人々は氏神様を敬い、お祀りをし、お供え物をしたり盛大に祭りを行ったりしています。

本来の「氏子」の意味は、「氏神様に護られている子」という意味があります。
ですから、同じ神社を信仰する地域に住まいを持ち、氏神様を崇敬(すうけい)する全ての人々のことをさして「氏子」といいます。
 

・打敷
打敷(うちしき)というのは仏壇の中に敷く敷物のことをいいます。

宗派によって打敷の形は三角形や長方形と違いますが、普段この打敷を仏壇に使うことはありません。打敷を飾るのは、正月、お彼岸、お盆、法要のときと決まっているので、仏壇の正装と考えていいでしょう。

仏前の三具足を置く敷物として使われているのには、お釈迦様が説法をされているときに敷物として用いた布を、お亡くなりになられた後、卓の敷物として利用したことがその由来だといわれています。
打敷には、金糸銀糸を用い、華やかな刺繍を施してあるものがありますが、これは極楽浄土や仏教の世界を目に見えて表している手法として用いられています。
 

・盂蘭盆会
7月13日から16日まで、もしくは8月13日から16日までの4日間、「盆棚づくり」をして先祖の霊をお迎えし供養する期間を「お盆」といい、その「お盆」の正式名称を「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。

「盂蘭盆会(うらぼんえ)」とはサンスクリット語で「逆さ吊り」という意味があります。
「盂蘭盆会(うらぼんえ)」は「ウラバンナ」を漢字を使い書き表したものになります。

由来はお釈迦様の教えで、「餓鬼道(がきどう)に落ちた母親を救いたい」という弟子の相談を受けたお釈迦様は「7月15日に多くの僧侶を招き、たくさんのお供え物で供養すれば救われる」と弟子に伝え、弟子はお釈迦様の教えの通りに供養し、母を救ったといいます。
このようなことから盂蘭盆会は「逆さ吊りにされた苦しみから救う供養」となりました。

お盆には先祖の霊がこの世に戻り生きているものたちと一緒に過ごすといわれており、8月13日には「迎え火」をたき先祖の霊を迎え、お盆の間は僧侶に読経をしてもらい、ろうそくや線香をたき、墓参りや飲食のお供えをして供養し、16日の夕方には送り火をたき、先祖の霊をあの世に送り出すようになっています。
 

・上机
上机(うわづくえ)は中型より大きい仏壇で、三具足や仏飯の器、茶湯を入れる器を置くために
使われる小型の机のことを言います。

宗派により違いはありますが、三具足は仏具の基本になるもので、花立、香炉、ろうそく立ての3つの
ことを言います。この3つにはそれぞれ意味があり、花立に生けた花は、天に向かい生き生きと咲く
花は清らかで美しい心を示し、線香をたくことで心身を清め、ろうそくの灯明は仏様のありがたい
智彗(ちすい)に見立てているといわれています。

三具足を置く場所は、向かって左から花立、香炉、ろうそく立てになります。
また花立2個、香炉、ろうそく立て2個の5つの仏具をそろえた場合、五具足といい、この飾り方も
宗派により様々です。
 

・宇宙葬
宇宙葬(うちゅうそう)と聞いても、あまり実感がわかないかもしれませんが、すでに数百人の方がこの方法でご葬儀をあげておられます。

宇宙葬といっても、ご遺体をロケットに乗せて打ち上げるのではなく、遺骨の一部を特殊なカプセルに入れてロケットに乗せ地球を周回する軌道に乗せるもので、最終的には大気圏に突入し完全に消滅してしまいます。そして、カプセルに乗せられた遺骨は完全に宇宙の一部になるのです。
地球を周回する年数は打ち上げ高度によって変わってきますが、数年から数百年の間地球を周回しています。その間、故人は遺族を宇宙から見守っているという思いも強くなることでしょう。

宇宙葬の費用は約100万円で、セレモニーや打ち上げの様子をビデオなどに撮影し、宇宙葬証明書がついてきます。別料金で遺族の手によってロケットを打ち上げることもできます。
 

・永代供養信託
「永代供養信託(えいたいくようしんたく)」とは、海外移住などの理由で供養を続けることができなかったり、跡継ぎがいなくなったりするというような場合、信託銀行と契約することで、契約者の死後、供養を続けるための費用を菩提寺に払い込む制度のことをいいます。

永代供養信託をしようと思う場合は、遺言書をつくり、信託銀行へ管理を依頼します。
信託銀行側は、相続人から死亡通知を受け取ると、遺言執行人として遺言である永代供養の設定に入ります。永代供養信託を利用すると、故人の財産は寺院へ寄贈する公共事業になるので相続税はかからなくなります。
   
 

・永代供養墓
永代供養は、何らかの事情で供養ができない場合や後継者がいない場合、その人に代わりお寺が責任を持って供養をすることを言います。

永代供養の場合、他の人の遺骨と一緒に納骨堂か共同の墓に納骨されます。
このため一般の墓とは違い「永代供養墓(えいたいくようはか)」と呼ばれています。

永代供養墓は、納骨堂に遺骨を納める方法と、大きな墓の地下の納骨堂に遺骨を合同で納める方法と個別の墓に遺骨を納める方法の3種類があります。

費用は30万円から50万円で墓のタイプや納骨方法によって金額が変わってきます。
納骨をしたあとお寺が行う供養は、お盆、彼岸の合同供養、祥月命日供養、回忌供養等で、他にも様々な管理があります。供養、管理に関しては費用に含まれているので、その後の支払いは一切ありません。しかし生前申し込みをした場合、年会費や維持管理費を支払うところが多いようです。

また永代供養墓で「無宗派、宗派問わず」となっているところでも、そのお寺に帰依し檀家になることを条件付けている場合があるのでその点はよく確認しておく必要があるでしょう。
 

・回向
回向(えこう)とは、死者の安らかな成仏を願って供養や法要を行うことを言います。

「回向」という文字の通り「回り差し向ける」という意味は、僧侶や自分たちの読経が善行となりそれらによって修められた功徳(くどく)を、死者の霊に向けて分け与えるということになります。
読経のあとに「回向文」を唱えます。

回向文というのは仏様をたたえ、先祖に感謝し、功徳を他の人にも回し向けることを祈る文のことを 言います。この回向文を唱えた後、各宗派の仏様の名前を唱えます。
 

・エコ葬儀
葬儀の中でエコに順ずるものが無いかと考えられ、その取り組みの一環として今すすめられて いるのが、紙製の「エコ棺」です。

私たちの意識の中で「棺」というとどうしても木製のものを考えてしまいます。
人間の勝手な理由から森林伐採などを進め、地球の環境を劣悪にしていることに違いはありません。

そこで考えられたのが「エコ棺」です。紙製といっても段ボールのようなものではありません。
きちんと布をかけており一見紙でできた棺とは思わない立派なものになっています。

日本の火葬率は、ほぼ100%で、紙製の棺なら燃焼時間も約10分と短くて済ませることができ、排ガスも木製の棺に比べ三分の一で済ませることができます。
費用は、木製の棺に比べ少々高くなっていますが、これは売上の一部を森林再生事業のために寄付されるからです。

このような観点からエコに賛同する人が増えればこの紙製の棺が多く使われる日が来るのはそう遠くないかもしれません。
 
・エンディングプラン
「エンディングプラン」というのは、その人が自分の人生をどのような形で最後を締めくくりたいかということを考えたものだといえるでしょう。

常々どのような治療や介護を望んでいるのかを家族やお世話をしてくださる方へ自分の考えを書き残したものを「エンディングノート」といいます。

エンディングプランの重要なポイントは、自分がどのようにして生きて、そして自分らしい最期を迎えるかを明確に示すことです。葬儀や自分の最期の治療など家族と話し合う機会はそうないものです。自分らしく最期を迎えるためにもエンディングプランを立てておくことはよいことです。
 

・エンバーミング
エンバーミングというのは、遺体の修復や消毒、殺菌、腐敗処理等(ふはいしょり)の技術のことを言います。

長期間の闘病で生前の元気だった頃の面影がなくなったり、事故で傷があったり葬儀まで日数があり遺体の状態が心配される場合などにこの技術を施してもらうようにご依頼をされる方が多いようです。遺体の体液と薬液を交換することにより、全身の消毒と腐敗防止をするので専門業者に依頼することになります。

このエバーミング技術が施されるようになってからは、生前の元気な姿のまま最後のお別れができるようになりました。最後のお別れほどよい形でしたいと思う人々の考えから今後、この技術を施されることが日本でもさらに広がっていくでしょう。
 

・御膳料・御車代
葬儀の費用として一番気になることは僧侶へのお礼ではないでしょうか。
一般的に僧侶に対してのお礼は、読経、戒名、葬儀全般へのお礼として「お布施(おふせ)」を、葬儀会場や自宅へ僧侶が足を運んでくれたことに対しての交通費として「御車代(おくるまだい)」を、僧侶が会食を辞退された場合や、御膳をつけない場合は「御膳料(おぜんりょう)」をそれぞれ用意し、お渡しします。

「お布施」は、ありがたい仏の教えと法話を頂いたことに感謝し、自分の力でできる限りの施しをするという意味があります。お布施に関しては宗派によっても地域によっても違いがありますので、この場合遠慮なくお寺に尋ねても何も問題はありません。
また檀家の方に相場を尋ねるのもいいでしょう。

渡し方は、表書きをした半紙か白い封筒に包んで、文字を相手が読めるように渡しますが、このとき小さなお盆にのせ、菓子折りなどと一緒に渡します。決して手渡しをしないようにします。
 

お清め
  「お清め(おきよめ)」とは、忌まわしい「死」から自分の身をまもり、けがれを祓うために体に塩をかけることや、葬儀や通夜のあとに参列者に出す飲食のことを言います。

「お清め」は、まだ医学が未発達だったころ、死は伝染するものと考えていたことや、不衛生な環境で、遺体が何かしらの伝染病のもととなっていたことが、死を恐れた人々が、死を忌まわしいものと考えており、現在でもその名残として塩で「お清め」をするといわれています。
 

お経 (一切経)
  「お経」は正式には「一切経(いっさいきょう)」といい、今から2600年前のインドでお釈迦様が多くの人々のために説法を行ったものを弟子が書き残したもので、その数は7000巻あまりという莫大な数があります。その後インドから中国へ伝わり、中国で漢字で書かれたものが日本に伝わってきたので、日本のお経も漢字で書かれています。

私たちが「お経」を耳にするのは葬儀のときや一周忌などの法要のときぐらいしかありません。
だからお経は「亡くなった方のもの」と考えてしまいがちですが、お釈迦様が説法をしてまわったのは「生きている人間に対して教えを説いて回った」のです。

お経の内容は、悩み苦しみながら生きている人間のためにお釈迦様が「善い方へ」導くために行った説法を弟子がまとめたものがお経であり、死者に対してのためのものではないのです。
 

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お斎
  一周忌などの法事が終わって、僧侶や参列してくれた人たちをもてなすための食事や会食の席のことを「お斎(おとき)」といいます。

「お斎(おとき)」を行わない場合は、料理をパック詰めや折り詰めにしたものを準備し持ち帰っていただくようにします。そのとき、菓子折りや引き出物、お酒などを一緒に渡す地域もあります。

最近では、法事を自宅や寺院で行い、その後レストランや料亭などに移動し会食することがあります。
そのため食事の内容も、本来の「お斎(おとき)」の意味からするとだいぶ変化したものになってきています。「お斎(おとき)」は元来、「不殺生(ふせっしょう)」という戒律を守って作られた食事のことをいうので、命を奪わないというところから肉や魚などを使った料理は出されることはなかったのです。
 

お納の式
  火葬場についたら、火葬炉の前に柩を安置し、「お納の式(おさめのしき)」を行います。
お納の式は、僧侶の読経がはじまり、読経の中、焼香を行い、遺族による本当の最後の別れが行われます。火葬場によって作法が違います。

お納の式が終了すると柩は火葬炉に納められます。この時は火葬場にいる全員が合掌してお見送りをします。心から大切にしていた人の柩が火葬炉の中に消えていくを目の前で見ていると今まで以上に抑えきれない感情と、精神的苦痛からたまらなくなる遺族も多く見られますので周囲の人はしっかりと支えてあげるようにしましょう。

火葬を待つ間、自宅へ引き上げる場合と火葬場の休憩室などで待つ場合があります。
地域によっても異なりますが、火葬場の休憩室で待つ場合は、お菓子やお酒を用意したり、お昼時なら食事の準備もしておくことを忘れないようにしましょう。
 

お別れ会
  新しい葬儀の形として「お別れ会」というのが行われることがあります。
葬儀は、遺族や親族の近親者のみで行い、葬儀の後数時間ほどあけて亡くなった方の友人や知人、会社関係の方々に集まってもらい、亡くなった方を追悼するために「お別れ会」を設けるということがあります。亡くなった方に「お別れを告げる会」なので「告別式」のひとつと考えてもいいでしょう。

「お別れ会」は宗教に捉われずに行われるので、亡くなられた方が好きだった音楽などをBGMに使ったり、趣味のものなどを中心にした会にします。こだわりがないのもこのお別れ会の特徴のひとつといえるでしょう。
 

お別れの儀
  葬儀、告別式が閉式した後、火葬へ向かう出棺前に、遺族や近親者が亡くなった方に花を手向けたり、お別れを告げることを「お別れの儀(おわかれのぎ)」といいます。

このとき柩に入れる花を「別れ花」といい、茎を短く切ったお供えに使われた花を使用します。
地域によっては茎を切らずに長いままの花を柩に納めるところもあります。花と一緒に、生前亡くなった方が愛用されていたものなども柩に納めます。但し、(アクセサリーやめがね)など燃え
にくいものは遺品として手元に置くようにしましょう。

「お別れの儀」が終わると柩のふたに釘打ちをするので遺族にとっては、偲びがたい悲しみがこみあげてきます。お別れの儀の間、遺族や近親者以外の参列者は会場の外で出棺を待ちます。
 

開眼供養
  「開眼供養(かいがんくよう)」というのは、別名「入魂式(にゅうこんしき)」といい、新しく作られた仏像の目を最後の段階で書きいれ、その仏像に「魂を入れる」という法要をしたことから「開眼供養」といわれるようになりました。

新しくお墓を建てたときや仏壇を購入したとき、位牌にもこの「開眼供養」は行われます。「魂」を入れるという意味から、単なる「物」から「拝む対象」に変わるのです。

開眼供養には、供花、線香ろうそく、お供え物の果物やお菓子などを準備します。僧侶の読経から始まり、焼香をします。この「開眼供養」が終わるまではいくら立派な墓を建てたところで「墓」は単なる「石」に過ぎませんし仏壇も「置物」でしかありませんので、この開眼供養は絶対に欠かせない供養なのです。

開眼供養の時期は、特別決まってはいませんが、初盆や彼岸や四十九日、あるいは一周忌など、人が集まる法要の機会にあわせて行うのもよいでしょう。
 

会葬礼状
  「会葬礼状(かいそうれいじょう)」というのは、喪主が葬儀や通夜に参列してくださった方々ひとりひとりにお礼を申し上げるところ、何かと取り込み、忙しくしていることから直接お礼が言えないことから、参列者ひとりひとりに渡すお礼状のことをいいます。

正式には葬儀が終わった1日から2日後に郵送するものですが、最近ではお清めの塩や会葬御礼のハンカチなどと一緒に受付で渡すことが多くなっています。会葬礼状は参列してくださる人数より多めに準備します。故人との続柄を記す場合は、喪主から見た続柄を示し、宛名は記入しません。
印刷する枚数は、故人と遺族の交際範囲を合わせた枚数を考慮しますが、年賀状など参考になるものがあればその枚数より多めを準備します。
 

戒名、法名、法号
  僧侶が、亡くなった方につける名前を「戒名(かいみょう)」と思われていますが、本来戒名は、生前に与えられる名前でした。しかし現在では、亡くなった方に対して葬式のときに受戒させ、仏の弟子として浄土(じょうど)へ旅立たせるという「没後作僧(ぼつごさそう)」が一般的です。

戒名は、今では「院号・道号・戒名・位号」の4つをあわせたものを戒名としていますが、「どのような身分の人間であっても仏の前ではみな平等」という教えから、本来の戒名はすべて二文字でした。院号・道号・位号はあとから加わったもので、院号を授けられる人は、生前の功績が大きかった人に贈られる特別な戒名です。道号は、仏教を会得した人に贈られる尊称で、位号は性別や年齢をあらわしたものになっています。

また戒名は宗派によって呼び方が違っており、天台宗、真言宗、浄土宗、禅宗では「戒名」といいますが、浄土真宗では「法名」と呼び、日蓮宗では「法号」といっています。
 

形見分け
  「形見分け(かたみわけ)」は、亡くなった方が生前愛用していた品物や思い出の品物を親族やごく親しい人で分けて贈ることをいいます。

形見分けを行う日を特別に設ける必要はありませんが、忌明けにあわせて形見分けをすることが多いようです。形見分けのしきたりとして、形見分けの品物に包装はしないでそのままの形で贈るということです。目上の方にはその相手が望まない限り形見分けはしないということになります。
 

合掌
  「合掌(がっしょう)」という言葉の本来の意味は、「相手に対する尊敬の念と感謝の念。
幸せを祈る心を表す動作」で、美しい礼儀作法のひとつなのです。

食事の前に「いただきます」と両手を合わせたり、食後に「ごちそうさま」といって両手を合わせるのは、その食事への感謝と、食事を作ってくれた人への感謝を表した作法になります。

合掌は、もともとインド古来の礼法で、仏教と共に日本へ伝えられたものです。
インドでは右手は清浄の手、左手は不浄の手として考えられており、その両手を合わせることで仏の世界と人間の世界の煩悩や衆生(しゅじょう)の世界がひとつになるということを示した動作ではないかと思われています。
 

仮通夜
  病気や不慮の事故で、命を落とし亡くなってしまった当日の夜に、親族やごく親しい人だけで行う通夜を仮通夜(かりつや)といいます。

この仮通夜に対し、弔問客を迎えて行うのが「本通夜」となります。

通夜は亡くなった方と親しかった人たちが一晩中亡くなった方に付き添い、邪霊がよりつかないように守りながら、亡くなった方を心から偲び別れを惜しんだことがはじまりで、そのような意味合いから考えると本通夜より仮通夜のほうが儀式に近いように考えられます。

葬儀に参列できない場合、香典を通夜か仮通夜に渡すことがありますが、本来、仮通夜で香典を渡すことはありません。仮通夜に何かを持参する場合は、弔問客へ接待用のお茶菓子などを持参するのが一般的で、喪服の着用はしなくても、黒やグレーの服を着用し、肌は見せないようにすることを心がけます。
 

海洋葬
  海洋葬(かいようそう)は、生物は海から生まれ海へ還るという思いから始まった自然葬のひとつです。

火葬された遺骨を粉末化し、海に撒いて供養をするというもので、散骨の一種になります。
海洋葬に関する法律は、墓埋法と遺骨破棄罪刑法190条の2つがありますが、どちらも「節度をもち、厳粛な埋葬法として行われるのであれば問題はない」としています。

海洋葬を行う場合、役所に届出を出す必要はありませんが、「埋葬許可書」が必要です。
他にも遺骨を撒く場所なども法律で定められている条件があるので海洋葬の専門業者によく相談をしてください。

海洋葬には、個別散骨、合同散骨、委託散骨の3種類に分けられ、費用も個別は30万円から40万円合同で10万円から20万円、委託で3万円から5万円です。個別散骨は一組の遺族が船を貸しきって散骨するもの、合同散骨は、何組かの遺族が合同で船を借りて散骨するもの、委託散骨に関しては遺族は船に乗らずに遺骨を預けて散骨するものです。どのコースも「海洋散骨証明証」が発行されます。
 

火葬
  火葬とは、ご遺体を火で焼き、残った遺骨を葬ることをいいます。

もともと仏陀(ぶっだ)が火葬されたことが始まりで仏教と共に火葬が伝わりました。
火葬することを「荼毘(だび)にふす」といいますが、これは火葬を意味する梵語からきた仏教用語です。

法律上、死後24時間は火葬をしてはいけないと決められており、火葬する場合も死亡届を受理した市区町村長の許可が必要になります。
 

火葬許可証
  亡くなったご遺体を火葬したいと思っても「火葬許可証」がなければ火葬を行うことは出来ません。
亡くなった方の本籍地や居住地、または死亡した場所にある役所で死亡届の提出と同時に火葬許可の申請を行います。

事故などで自宅から遠くはなれた場所で亡くなった場合は現地で火葬をし、遺骨を持ち帰ることが多くなっていますが、そのような場合は、現地の役所で手続きを行い、死体火葬許可証の交付を受けることになります。死亡届の提出は死後7日以内に提出されなければならなく、死亡届が提出されなければ火葬許可証も発行されません。
 

改葬
  「改葬(かいそう)」は、一旦埋葬した遺骨を他の墓地や納骨堂へ移動することを言います。

改葬をする理由として考えられるのは、遠方へ住居を移すときや改宗する場合や区画整理で墓地自体が移動する場合が考えられます。改葬には、今葬っている墓地などがある場所の役所から 「改葬許可証」の交付を受け、移転先の役所に改葬許可証を提出する必要があります。

手続きは、移転先の管理者から「受入証明書」を現在埋葬している墓地の管理者から 「埋葬(納骨)証明書」を発行してもらい、「改葬許可申請」を移転先の役所に提出し「改葬許可書」を移転先の墓地や納骨堂へ提出し納骨をします。寺院のお墓から別の寺院のお墓へ改葬する場合は、今まで埋葬していたお墓の「閉限法要(お魂抜き)」をし、移転先の新しいお墓は「開眼法要(お魂入れ)」の儀式を滞りなく済ませます。遺骨は普通は骨壷に納められていますが遺骨のまま埋葬した場合は、土に還っているので埋葬した場所の土を両手ですくい持ち帰り新しいお墓に移動させます。
 

過去帳
  過去帳(かこちょう)は、戒名(法号・法名)や俗名、死亡年月日、享年が書かれた帳簿のことをいいます。

別名として「鬼簿」「冥帳」と呼んでいるところもあります。表紙は金襴の布製でできたものや唐木(黒壇)で、「鳥の子和紙」という対応年数の長い紙を使用して作られていることが多いです。

家庭で亡くなった方の月命日を確認し、供養をするのに用いるには「日付入り」の過去帳が一般的です。1日から31日までの日付が入り、命日の日付の頁に戒名などを記入しておき見台に乗せて供養をします。「日付なし」の過去帳は、寺院で用いられる年表形式のものをいいます。
この過去帳は檀家の記録が亡くなった順に記され寺院にとってはとても貴重なものとなります。
浄土真宗では「亡くなった人の魂は浄土へと旅立ち阿弥陀如来様(あみだにょらいさま)とともにあるので位牌の中に魂はいない」とし、位牌を使うことをせずに過去帳を使い先祖を供養します。
 

神棚封じ
  「神棚封じ(かみだなふうじ)」というのは、家族が亡くなったときに家にある神棚に白い紙を貼って
封印することをいいます。

昔は家族以外の第三者がこの「神棚封じ」を行っていましたが今は、家族が行うことが多いようです。
神棚封じの間は、神棚の扉を閉めておきお神酒などのお供えや神棚に礼拝することも遠慮します。
神棚封じは忌明けまで行い、忌明けと同時に白い紙も取り除き封印を解除します。
神棚封じをするのは、死のけがれを神棚に入り込まないようにするためです。
この「けがれ」というのは「汚い」という意味ではなく、家族に不幸があると人々は落ち込み元気を なくしてしまい、このようになった人間の状態を「気が枯れ衰える」とし、「気枯れ」「けがれ」というようになりました。神棚封じをするときに白い紙を貼る場合、決してピンなどを使わずにセロテープではりつけるようにします。
 

カロート
  「カロート」は、お墓の中にご遺骨を納めるために作られた部分でご遺骨を安置する神聖な場所です。

カロートは大きく分けて地上式、半地上式、地下式の3つに分けられます。大きさや形はお墓によって “様々ですが、中に2,3段の棚を設けている場合もあります。カロートのデザインも工夫されたものが”増えてきており、以前は石材専門業者でないと開閉できなかった扉も今では普通に家族が開け閉めできるようになっており掃除がしやすくなっています。
 

冠婚葬祭互助会
  互助会というのは、互助会会員から毎月一定の金額(選ぶコースにより1000円~8000円程度の金額)を徴収し冠婚葬祭のときの積立金を費用に充当するというシステムです。

互助会はまだ物資が少なかった戦後まもなくの時代にお互いが助け合ってお金を出し合い祭壇を作ろうという「助け合い精神」から生まれたものです。

葬儀についてはいろいろな考え方があり自分らしい葬儀をしたいと考える準備に役立てることや、設備が整った会場で葬儀が出せるということや葬儀の手伝いもあり、ゆっくりと最後の別れを亡くなった方とできるということから互助会を利用する人が多くあります。

しかしその反面、互助会に対してのクレームも年々増えているのも事実です。
クレームの原因のほとんどは「積立金で全て葬儀費用がまかなえる」という勘違いをするような説明をしている方法に問題があるようです。互助会の内容にもよりますが、互助会に積み立てしたお金は「葬儀の費用の一部として使う」ということを念頭に置いておくほうがいいでしょう。
 

還骨回向、還骨勤行
  「還骨(かんこつ)」というのは、亡くなった人が火葬され「お骨」に還った状態のことを言います。
「還骨勤行(かんこつごんぎょう)」は火葬から戻ってきた遺骨を後飾り祭壇が設置された場所にお迎えするときに行う儀式のことを言います。

「還骨回向」というのは、火葬場から自宅へと戻ってきた遺骨を後飾り祭壇に安置した後に行っていただく法要のことです。法要が営まれる頃には、故人は亡くなってからすでに3~4日は経っているのですぐに初七日のとなり、今ではほとんどの方がこの還骨回向を初七日を繰り上げて行っています。
 

火葬祭 (神道)
  葬儀が終わって、斎場から運んできた神に供える食物などの神餞(しんせん)や葬祭具を火葬炉の前に飾り行われる儀式です。
火葬祭は、斎主(さいしゅ)の祭詞(さいし)の奏上から始まり、喪主から順番に玉串奉奠を行います。
この玉串奉奠は、仏式の焼香と同じ意味になります。全員が奉奠し終わったところで拝礼をし、火葬炉へ柩を送り出し火葬が始まります。火葬の間、斎主と遺族たちは火葬場の待合室で待ちます。
「骨上げ」の方法は仏式と同じ方法で執り行われます。
 

忌明け
  「忌明け(きあけ)」というのは「喪が明ける」ことを指します。一般的に死後49日後を「忌明け」 としているところが多いです。

忌明けを49日後にするのは、お釈迦様が49日の間瞑想をし続け、悟りを開き新しく生まれ変わったというところから49日後に忌明けをするようにしています。また、この49日間の瞑想期間中、7日ごとにお釈迦様は場所を変えて瞑想をしていたことから、7日ごとに法要を行い、亡くなった方の追善供養をします。人間も死んでから49日後には新しく生まれ変わり、浄土へ旅立つことができるということから49日後の法要を特に重要視します。
 

帰依
  「帰依(きえ)」とはもともとサンスクリット語で保護所や避難所のことをあらわしています。
仏教用語では「すぐれたものに自己の心身を帰投し依伏する」ということから「深く信仰する」という意味になっています。

また、仏法僧の3つを「三宝」といい、お釈迦様が説かれたという「三宝帰依」というのは仏(お釈迦様のこと)法(お釈迦様の教えのこと)僧(字の通りお釈迦様の教えを実践する者のこと)
の3つに帰依することをあらわしたもので、このことが仏教の教えの基本になっています。

「帰依する」ということをわかりやすく解釈すると「信仰する」ということで「お釈迦様の教えを心から敬い信じる」というように覚えておくといいでしょう。
 

忌中
  故人の死を悼む心で近親者が喪に服している期間を「忌中(きちゅう)」といいます。

忌中の期間は、死後四十九日の間(神式では五十日祭まで)になります。
故人と縁が深い近親者が喪に服すという意味で、忌中の間は、結婚式などの席の出席は控えたり、年始のあいさつ回りや、神社への参詣などもつつしみます。

「忌中」に対して「喪中」というのは、故人が亡くなった日から1年後の命日までのことをいいます。
忌中の間に行われる法要を「忌中法要」といい、故人が亡くなった日から7日ごとに法要を行います。
最近では49日目までの法要を省略するところも多くなってきていますが、ちゃんと7日ごとの法要を行っている場所もあります。ただ、初七日の法要は、葬儀の日はすでに死亡されてから4.5日経過していますのですぐに初七日法要になるため、遺骨が戻ってきたときに同時に行ったり葬儀当日に行うこともあります。
 

忌日
  人が亡くなった日のことを「忌日(きにち)」といいます。判りやすく言うと、「死亡年月日」のことです。

「忌日」は「命日」ともいわれており、死後100日後まで行われる7日ごとの法要を「忌日法要(きにちほうよう)」といいます。忌中法要は、次のように区切られています。
死後7日目の法要を初七日(しょなのか)、14日目の法要を二七日(ふたなのか)、21日目を三七日(みなのか)28日目を四七日(しなのか)35日目を五七日(ごなのか)42日目を六七日(むなのか)49日目を七七日(なななのか)といい49日後に生まれ変わるといわれていることから七七日法要は重要で盛大に法要を営みます。
 

帰家祭 (神道)
  帰家祭は、無事に葬儀が終わったことを神様に報告する儀式で、斎主による祭詞奏上からはじまり、その次に斎主、喪主、遺族の順番で玉串奉奠(たまぐしほうてん)をし、一同が拝礼し式が終わります。
帰家祭のあと、仏式でいうところの初七日にあたる十日祭(亡くなった10日後に行われる霊祭)を行うところもあります。この帰家祭が終わるとこれで神式の葬儀は終了になります。
 

帰幽祭 (神道)
  神道では亡くなったことを「帰幽(きゆう)」といい亡くなった方の生まれ育った場所の氏神となる
神社に「帰幽報告」をします。出身地が離れている場合は住居を構えているところの神社に報告をします。

帰幽というのは人が死ぬとその御霊(みたま)は幽世(かくりよ)に帰っていくといい、その後先祖の神々の仲間に入るということに由来しています。

故人の遺族は故人の死によって気がおとろえている状態にあるため、親族の年長者か親しい代理人を立て神社の祭主に報告を行います。そして神葬祭に関しての斎主の都合をうかがいます。
 

清祓いの儀、五十日祭 (神道)
  神道では、故人が亡くなった日から50日目を忌明けとし「五十日祭」をします。
「五十日祭」は仏式の「四十九日法要」と同じ意味でとても大切な霊祭になり、盛大に行われます神道の「百日祭」「五十日祭」は墓前で行われるのが通例でそのため「墓前祭」ともいわれています。
墓前には米、水、故人の好きだった食べ物を供え、神官による祭詞奏上が行われたあと、参列者の玉串奉奠(たまぐしほうてん)を行います。

「清祓いの儀」では、神棚を封じていた白い紙をはがし、忌が明けて平常の生活に戻すための儀式で、本来であれば「五十日祭」の次の日に行われていたものですが、最近では「五十日祭」と同じ日に行われています。仏式の位牌にあたる霊璽(れいじ)を仏式の仏壇にあたる祖霊舎(それいしゃ)に移し、祖先神となるための「合祀祭」もこの五十日祭の日に行います。
 

清め塩
  葬儀も無事に終了し、火葬場で荼毘に付されて遺骨になり自宅へ戻ったときに、火葬場に同行しなかった人に塩をふりかけてもらい清めてもらうことを「清め塩(きよめじお)」といいます。

地域によっては、葬儀に参列した参列者は自分の家に入る前に塩で清めるということをするところもあります。また、会葬礼状とともに「お清めの塩」と記された袋詰めの塩が入っている場合もあります。

現代の葬儀では「葬儀の後はお清めの塩」というのが習慣になっていますが、仏教の教えに「塩で体を清める」ということはないので、習慣になっていることなら廃止しようという動きも出てきています。荘厳な死を清めるという必要はないので単なる習慣なら塩で清めるという行為はしなくてもいいかもしれません。
 

キリスト教
  キリスト教は世界三大宗教のひとつで、「カトリック(旧教)」と「プロテスタント(新教)」に分けられておりそれぞれの教義によって葬儀を執り行うためそれぞれ葬儀方法がちがってきます。

カトリックの場合、聖書や使途伝来の教会を信仰しており、葬儀はミサを中心に行われ信者以外は葬儀を行うことは出来ません。

プロテスタントは聖書による祈りを中心に葬儀が行われ、カトリックの葬儀よりも幾分自由です。
キリスト教の葬儀における意義は、「神への礼拝」「亡くなった故人の記念のため」「遺族への慰め」「信仰の証」という形になります。

亡くなった方のことをキリスト教では「召された人」といい、神のみもとに帰って行ったということで、召された人の生涯を導いてくださったイエス・キリストへの感謝と賛美をささげる儀式がキリスト教の葬儀です。
 

供花
  葬儀の際に生花を供えることを「供花(きょうか)」といいます。

葬儀の際、亡くなった方を偲びその成仏を願いながら供える花は「美しい浄土」を思わせることから「この花のように美しい浄土へ向かってください」という気持ちから供えられるようになりました。
 

釘打ちの儀
  葬儀が終わって、遺族や親族とのお別れも終わり出棺をする際に亡くなった方との「最後のお別れ」をして「別れ花」をしたあとに親族や近親者の手によって柩に釘を打つ儀式のことを「釘打ちの儀」といいます。

喪主をはじめ、亡くなった方とかかわりが深い順にこの「釘打ち」を行います。
このときかなづちなどで釘を打つのではなく、手で握れるくらいの小さな小石を使い、ひとり2回ずつ柩の頭のほうから足のほうへ向けて釘打ちを行っていきます。

小石は、死者が渡るといわれる三途の川にある河原の石を意味しており、無事に三途の川を渡れるようにという想いをこめて行われる儀式なので、宗教や宗派、地域によってはこの儀式を行わないこともあります。
 

グリーフワーク
  愛する人を失ったとき人はとても大きく深い悲しみである「悲嘆(Grief)」を感じてしまいます。
この悲しみは長期にわたりそしてまた特別な感情や精神状態になりそのプロセスを経て、愛する人がいなくなった環境を受け入れ適応し新たな社会関係を築きながら、「死」の悲しみを乗り越え人生を歩み進めていくのです。ここまでの悲しみのプロセスを「グリーフワーク(Grief Work)」といいます。

グリーフワークをサポートすることを「グリーフケア」といい、喪失感で悲嘆にくれている周囲の人だけではなく心理療法士や医療従事者がケアにあたることもあります。最近では遺族の心のサポートをとりいれたグリーフケアサービスをする葬儀社も増えてきています。また、グリーフワークについての勉強会やグリーフケアのサイトなどもあり、徐々に注目されそのサポートに力を入れていく方向に関心が集まっているようです。
 

鯨幕
  葬儀の会場で白と黒の同じ幅の幕のことを「鯨幕(くじらまく)」といいます。

日本人は古い昔から鯨には多くの恩恵を受けてきています。鯨幕と名前がついたのは、鯨の骨の部分は黒く、お腹の部分は白い鯨の「白黒」の2色を連想したのでしょう。

また、黒という色は高貴な色で弔事にも慶事にも利用された色です。現在でも皇室が慶事に白黒の鯨幕を利用することがあります。日本は古くから弔い「色」として「白」にしていました。欧米では黒が弔事の色を「黒」とするところの習慣が日本にも入ってきて「白と黒の鯨幕」ができたということです。
 

供物
  「供物(くもつ)」とは神仏や先祖の霊や信仰の対象になるものに供えられる物のことをいいます。

信仰の対象になる宗教や宗派によって供物は変わってきますが、仏教では、香、花、水、灯明、飲食が基本です。香は線香、花は生花で、灯明はろうそくに灯を灯すことでそして水と飲食(おんじき)をお供えします。

飲食(おんじき)というのはお菓子や果物などの食べ物を供えることを言います。仏様にお供えするご飯のことを「仏飯(ぶっぱん)」といいます。仏飯はとくに重要視されているので朝でなくても炊きたてのご飯は一番に仏様にお供えするようにします。お供えしたものは仏様からのお恵みだと考え、ありがたく感謝しいただくようにします。
 

献花 (キリスト教)
  キリスト教の葬儀では「献花(けんか)」を行います。

献花にはカーネーションなど茎の長い白い花を用います。献花の方法は、遺族に一礼をし、花を受け取り献花台に進み遺影に一礼をし、最期に遺族に一礼をして下がります。花の持ち方にも決まりごとがあり、花部分を右にして受け取り左手は上から茎を持つようにします。そのまま献花台に進み一礼をし、花を時計回りに回し花が点前になるようにして献花台にささげます。

キリスト教の葬儀の式場には献花についてのプリントが配られているので心配はないでしょう。
 

献香
  「献香(けんこう)」というのは、香を焚いて神仏に供えることをいいます。

私たちが日ごろ仏壇に線香をお供えすることは、一番身近な「献香」です。
香の原料となるものは「伽羅(きゃら)」や「白檀(びゃくだん)」の香木と呼ばれている植物からとりますが、日本には生息しない種類なので大変貴重なものです。

日本には「香の香りをたしなむ」「香道(こうどう)」というものがあります。
仏壇にお供えする線香の香り以外にも、香に親しむのにはいい機会かもしれません。
 

香典
  葬儀に参列しご霊前にお供えする金銭のことを「香典(こうでん)」といいます。

もともとは「香奠」と記されており今でもこのような表記の不祝儀袋を販売していることもあります。
意味としては「香を供える」ということに基づき「香を買うためのお金」としてお供えされたものです。
香典の金額は、亡くなった方との血縁の深さや付き合いの度合いによって変わってきますが、4と9の数字になる金額は包みません。香典を包む時は表書きは「御霊前」とし、神道では「玉串料」キリスト教では「御花料」と書きます。
 

香典返し
  葬儀のときに香典を頂いた方に、その返礼として品物を送ることを「香典返し」といいます。

本来、忌明け後に香典を頂いた方や葬儀でお世話になった方などに挨拶状と共に香典返しを贈るのが一般的でしたが、最近では葬儀の受付で会葬御礼とともに葬儀当日に一緒に渡すようになってきています。よく聞かれる「香典返しは、半返し」といわれているように香典返しの品物の金額は包んでいただいた香典の半額を返すのが一般的です。

しかし当日頂いた香典の額がはっきりとわかっているのではないので、一律に香典返しの品物を渡し、頂いた香典の額によっては、後日、お返しの品物を贈るということが多いようです。一家の大黒柱を失った場合の香典返しは香典の3分の1、あるいは礼状だけでもかまいません。香典返しの品物で一般的なものはタオルや緑茶、石鹸などの消耗品が多いようです。最近では「ギフトカタログ」などを送付し、設定された金額の中で各個人が好きなものを選ぶという香典返しも喜ばれています。
 

告別式
  葬儀会場にいくと「葬儀・告別式」と書かれたものを目にしますが、「葬儀」は遺族や近親者が営む儀式のことで「告別式」は知人や友人が亡くなった方との最後のお別れをする儀式のことを言います。

以前は告別式と言うと、葬儀が終わり遺骨を埋葬する前に行われていた儀式ですが、現在では「葬儀・告別式」と同時に行うのが一般的になってきています。参列した人全員が火葬場まで行くわけではないので、全員が揃っているときに告別式も執り行うようになったのです。

同時に行うようになったとしても、葬儀と告別式はまったく別の意味なので葬儀が終わった後一旦僧侶は退席し、告別式のために改めて入場し告別式を行うのが正式な告別式です。
 

公営墓地
  「公営墓地」とは、市区町村などの智報じ自体が所有し、管理、運営を行っている墓地のことを言います。

メリットとしては、安心して利用できるということと、墓地の使用料や管理費などが割安であるということの他、宗教を問わないので石材店を自由に選べるという利点もあります。しかし公営墓地の募集は少なく抽選の倍率も10倍から100倍というかなり高い競争率になります。墓地のほかに「公営納骨堂」もあります。納骨堂と墓地の大きな違いは遺骨を土の中に埋めてしまわないことです。

公営墓地の申し込みには一定数以上その場所に居住していることや生前の予約はできないことや手元に遺骨があることが条件などと、数々の条件や資格を設けているのが公営墓地の特徴ともいえるでしょう。応募の資格や条件は各市町村によって違いがあるので詳しいことは役所の窓口で問い合わせてみるのもいいでしょう。
 
 

骨あげ
  骨上げというのは、火葬がすんだあと、遺骨を拾いあげ骨壷に入れることを言います。

骨上げは2人1組で行い、ひとつの骨を2人同時に箸で拾い上げ骨壷に入れるようにします。
これは、「箸を使う」のには「三途の川の橋渡し」をするという意味から使われています。
骨上げの順番は喪主をはじめとする亡くなった方との縁が深い順番に、遺族、親族、友人知人の順になります。しかし、宗派や地域によって骨上げの仕方も違ってきますので、火葬場の係員や葬儀社の者が誘導して骨上げを行います。骨上げは時間をかけずに速やかに行います。
全ての骨を骨壷に納めたら、喪主が「喉仏(のどぼとけ)の骨」をのせます。この「喉仏」と呼ばれる骨は第二頸椎の首を支える骨で、その姿が仏様が合掌しているようにみえることから「喉仏」と呼ばれるようになりました。
 

御仏前・御霊前
  葬儀に持っていく香典をいれる不祝儀袋の表書きに「御仏前」「御霊前」と書かれて販売されているものや無地のものがあります。宗派や地域によっての違いはありますが、通夜や葬儀での香典の表書きは「御霊前」で、四十九日の忌明けがすめば「御仏前」と表書きを書き換えます。
不祝儀袋は「繰り返さない」という意味をこめ「結びきり」という水引で白黒または銀色一色のものを使い、文字は薄墨で書くようにします。
 

斎場
  「斎場(さいじょう)」というのは、通夜、葬儀告別式を行う場所や火葬場のことをいいます。

「斎場」というのはもともとは神道で使われていた言葉で、神道ではそのときの必要に応じ、屋外に神社以外の仮設の建物を置き、そこで祭祀や儀式を執り行っていました。
そのような場所のことを「斎場」と呼び、特に葬儀については、死の「けがれ」を神社によせつけないために、故人の自宅で葬儀を執り行っていました。そのことから葬儀が行われる場所も「斎場」と呼ぶようになったのです。
数十年前では自宅や寺院から葬儀を出し、親戚やご近所の方が手伝うのが通例でしたが、最近では近所づきあいも少なくなってきており、また住宅事情などから自宅で行う葬儀の数は減少し、「○○斎場」という名称で近代的な設備を整えた葬儀ができる施設が増えてきました。
 

斎主 (神道)
  「斎主(さいしゅ)」というのは神式の葬儀を執り行う最高位の神官のことをいい、仏式では僧侶、キリスト教では神父や牧師のことをさします。

神式の葬儀は正式には「神葬祭」といい、斎主のお祓いからはじまります。
斎主のお祓いで斎場と参列者を清め、神式の葬儀に参列する機会は極端に少ない上に、儀式の数が多いので、式が始まる前に作法が書かれたプリントなどが配布され世話役に説明をしてもらうなど細かい配慮が必要です。
 

祭壇
  祭壇はもともと、亡くなった方の枕元にろうそくや線香をおくための枕机のことでした。
祭壇の上部にある装飾物はもともと葬列で使用した輿(こし)という柩をはこぶ葬具でした。
他にも様々な装飾が祭壇には施されていますがそれぞれに意味があるのですが、地域や宗派によって少しずつ形態は変わってきます。現在の祭壇の役割は実質的に使用するものではなく、
装飾や象徴というものに変わってきています。
 


  榊(さかき)は、関東から西に自生する植物で、日本では古来から神に供える神木とされてきました。
榊には「神にささげる木」という意味があり「人と神の境にある木」「栄える」という言葉が変わり「榊」になったといわれています。

榊をいつお供えするかという明確な決まりはありませんが、植物である以上毎日水をかえていつもみずみずしさを保つように心がけたほうが良いでしょう。枯れてしまった榊をいつまでも神棚に供えているのはよくないので、事前に見極めいつも生き生きとした榊をお供えするように心がけましょう。
 

逆さごと
  葬儀を行うなかのしきたりで普段習慣的に行っていることの逆をすることがあります。そのことを「逆さごと(さかさごと)」といいます。

逆さごとは、死者の世界はこの世とは逆のことをするという風に考えられていたことと、死者の世界とこの世に生を受けてるものの世界の間に隔たりを持たせるために生きているものを守るために行われるとされています。

逆さごとは、足袋を左右逆に死者にはかせることや、着物を左前にして着せることや着物の帯を縦結びするなどのことを行うことを言います。地域によっては火葬場に行く順路を逆にしたりと衣類を逆にして干したりします。「逆さごと」のしきたりはその土地の風習によって行われていることが多く、仏事というよりも生きているものを守る魔除け的な要素が強いことかもしれません。
 

散骨
  散骨(さんこつ)は、遺骨を粉末にして海や山などに撒くことを「散骨」といいます。

「墓地・埋葬法」では散骨については述べられていませんが、禁止されているのではなく制定当時に散骨という埋葬法が想定されていなかったのです。法律で禁止しているのは刑法190条で、散骨を葬送のための祭祀ととらえて「節度」を持って行う分にはなんら問題はありません。
問題がないからといって、自分の好きな場所にどこでも散骨をしていいというわけではありません。
他人の土地や釣り場などに散骨をして精神的負担をかけた場合、民法の精神的損害賠償の対象となるので散骨には充分注意をして行わなければなりません。また、自治体によっては散骨をする場所を設定しているところもあるので、散骨をする前に自治体に確認することを忘れないようにしましょう。
 

寺院墓地
  宗教法人が経営する墓地を寺院墓地といいます。

寺院が墓地を経営することは法律で宗教活動の一環として認められており墓地を利用するためにはその寺の檀家になるのが前提条件となります。寺の境内の中にあるので墓地の管理も行き届いており、いつでも僧侶に読経をお願いすることができます。また永代供養をしてもらいやすくなるなどの理由で昔から多くの需要がある墓地でもあります。

しかし、その寺の墓地を使用するということは檀家になるということですので宗派の変更やお寺の行事への参加、墓地清掃の参加のほかにも寄付金を求められることもあります。また寺によっては石材店を指定しているところがあり、自分の好きなところで墓石を立てられないということもあります。
檀家としてこれからそのお寺とどう付き合うかということもよく考えてから寺院墓地のことを考えるといいでしょう。
 

式辞
  「式辞」というのは、主催者側が代表して行うあいさつのことです。特に社葬の場合などの大きな葬儀では「葬儀委員長」が行うあいさつのことを「式辞」といいます。

式辞と弔辞のちがいは、式辞が個人の社会的業績やその生涯を紹介するのに対し、弔辞は親しい友人などが故人のことを偲ぶあいさつになっている点が大きく違います。

式辞の内容としては、自分と故人との関係、故人の業績や社会貢献や歩んできた人生を紹介します。
そして最後に参列してくれた方々へのお礼の言葉を述べます。式辞は簡潔にしあまり大げさにならないようします。また、「重ね重ね」や「たびたび」や「返す返す」など忌み言葉といわれるものは使わないように気をつけなければなりません。
 

四華花
  四華花(しかばな)、四華、四花、死花、紙花などと様々な呼び名がありますが、すべて白い紙に横に細かく切れ目を入れて、細い棒に巻きつけた葬具の一種です。

四華花の由来は、お釈迦様が亡くなったとき、沙羅双樹(さらそうじゅ)が真っ白な花を咲かせ、釈尊(しゃくそん)のご遺体を覆い尽くしたということに由来しています。
お釈迦様の最後の説法は沙羅双樹の下で行われ、この最後の説法をした後にお釈迦様は涅槃(ねはん)(悟りの境地)に入られたことから四華花は、死者が涅槃に入ったことを表すことだといわれています。このときお釈迦様が北枕でお亡くなりになったことから死者を北枕で寝かせるようになりました。昔は、近親者が悲しみを表す四華花をもって葬列に参加していましたが葬列がなくなった今でも四華花を供えるしきたりは残っています。
 


  樒(しきみ)とは、日本に古くから生息する常緑樹で全体に香りがあり香花(こうげ)という別名でも呼ばれています。その昔、土葬していたころ、遺体を埋めた墓地を動物に荒らされないように、樒の果実には「アニサチン」という猛毒があるので動物が近づかないように墓地に樒を植えたり していました。今でも墓地に樒を植えたり樒の枝を墓前に供えます。

「樒を使者のそばに供えると悪霊がよりつかない」といういわれから、枕飾りのときに使われます。
樹皮や、葉から抹香(粉末状の香)を作ったことから「抹香の木」と呼ばれています。

この抹香の香りは死臭を清めるという目的でも使われていたのです。抹香は、撒いて使われていましたが今では焼香のときに使われていることから、樒を備えるということ自体がお香を焚くことになるのです。樒を供花にするのは地域によっても異なってきますが特に関西を中心に樒は使用されています。供花として送る場合は一対にして樒を贈ります。
 

自然葬
  「自然葬」は遺骨を墓などに納めることをしないで海や山の自然に帰すという葬送の総称のことをいいます。

日本で行う自然葬は、遺骨を粉末にして散骨するもので、散骨として捉えても問題はありません。
自然葬には海や山に散骨する方法のほか、宇宙葬や樹木葬(じゅもくそう)などがあり、人間も自然の一部と考えて自然に帰すという考えの中からこのような葬送を行うことが考えられました。
散骨するにはお骨を粉末化する必要があります。また散骨指定区域もあり散骨は専門業者に依頼するのがいいでしょう。
 

死装束
  ご遺体に着せる衣装のことを「死装束(しにしょうぞく)」といいます。

伝統的な死装束は、白い着物、足には脚絆(きゃはん)と白足袋、草履(ぞうり)をはかせ、手には手甲、頭には三角布、頭陀袋(ずだぶくろ)には、三途の川の渡し餞といわれる六問餞を入れます。
この装束は浄土へ巡礼する修行僧の姿から由来していますが宗派によって違いもあります。
死装束は最近は葬儀社が用意します。火葬のことを考えて六問銭は紙でできたものを準備します。
最近ではお亡くなりになられた方が好きだった服を白装束の上からかぶせて着せたりして生前の好みを優先させています。
 

死化粧
  亡くなられた方の髪の毛やお顔を整えるために施すことを「死化粧(しにげしょう)」といいます。

男性の場合は髭をそり、女性の場合は口紅などを用い薄化粧をします。
闘病のため頬がこけていた場合は、綿を含ませてふっくらとさせるなどします。
死後硬直が始まってしまうと思うように動かせないのでできるだけ早く丁寧に化粧を施します。

日本ではまだ少ないですが、エンバーミングを施す場合があります。不慮の事故なので遺体の損傷が激しい場合、せめてお別れをするときくらい元気なときのままで送り出したいという遺族の願いからこのエンバーミングという技術は施されていましたが、この化学的な技術で特殊な加工を施すことによって、ほんとに眠っているように綺麗な遺体によみがえることができますが、日本ではまだ技術者の数が少なく依頼をすると遺族と離れ離れになる時間があるという状況にあります。
 

死に水・末期の水
  息を引き取られた後、家族が口元を水で潤すことを「末期の水」あるいは「死に水」といいます。

本来ならば臨終の間際に行われたことですが、今では亡くなられた方に対して行われています。
脱脂綿を箸に巻いて糸で縛ったものに水を含ませ、軽く口元を湿らすように潤します。

末期の水の由来は、お釈迦様の末期に口の渇きを潤すために仏心の篤い(あつい)鬼神が浄水で口を潤したことですが、家族のために最後まで何かしてあげたいという遺族の気持ちに一番相応しい儀式ともいえるでしょう。最近ではほとんど病院でお亡くなりになりますので、自宅に戻ってから布団に安置し喪主になる方から順に血縁の濃い順から末期の水の儀式を行います。
地域によっては脱脂綿のほかに新しい筆や樒(しきみ)鳥の羽などで、死に水を取るところもあります。
 

しのび手 (神道)
  神式の葬儀のときの二拍手は、音を立てないようにする「しのび手」にします。

実際のしのび手は両手が合わさる寸前で止め、決して音はならないようにします。
「二礼二拍手一礼」で、しのび手をするのは、仏式の焼香にあたる玉串奉奠(たまぐしほうてん)の後になります。玉串を捧げたあと二回礼をし、その後二拍手、このとき音は絶対に立てないようにします。ふたたび礼をしますがこの時は深々と礼をし霊前から下がります。

神式での葬儀の「手水の作法」「拝礼の作法」「玉串奉奠」は欠かすことのできない重要な作法なので、葬儀社で事前に説明をしたり、プリントが配られたりします。
参列する前に一通りの作法を確認しておくのがよいでしょう。
 

市民葬
  「市民葬」というのは各自治体が葬儀社と協力して行うもので、葬儀に必要な料金を低料金で提供するサービスのことをいいます。

市民葬を利用するにはその地域に居住していることが条件になります。収入に関しての制限はありません。市民葬の場合、自治体が指定した葬儀社を利用することと葬儀の場所が公民館など自治体の指定した場所になるなどの規定があります。市民葬におけるサービスの内容は各自治体によって違いがあると考えられます。
 

社葬
  「社葬」を行うのはその会社にとって大きな業績を残した人のために会社が費用を出して、会社が主体となって執り行う葬儀のことを言います。

社葬の場合は、会社の取引先や、各界の関係者や参列する人が広範囲になるため葬儀自体が大規模なものになります。ある意味会社をアピールする場にもなるので、いかにしっかりとした社葬を執り行うかということによって、会社自体の評価や対象にも関わる大切な「イベント」になることを心得ておきましょう。

社葬の対象になるのは、会社の社長、会長、会社の創設者、役員などでそのほかに、会社に大きく貢献し業績を残した社員や社命に関わる業務遂行中に殉職した社員などがその対象になります。
ただ、生前の地位や貢献度によって社葬の規模や会社の費用の負担額が変わってきます。

社葬は、近親者のみで密葬を終えた後に行われます。会社側は遺族の意向をくみながら社葬の準備を始めます。外部への通知は社葬が行われる2週間前までには遅くとも連絡しておく必要があります。
 

宗旨
  「宗旨」とはその宗教の教えの中心となる基本理念で、同じ宗教の中でも細分された教義によって分かれたものが「宗派」となります。

お墓を購入するときに、よく目にする購入条件の中に、宗旨宗派を問わずというような内容が書かれていることがあります。宗旨・宗派を問わずというのは、どのような宗教でも問題はないということで、公営墓地など募集のときによくみられます。
 

樹木葬
  「樹木葬(じゅもくそう)」というのは、墓地として認可されている山林にお骨を埋葬して、墓石のかわりに樹木を墓標にするという葬送方法のことです。

「自然に還る」という意味では散骨と同じですが、樹木葬はお骨を土に還すので、散骨のように粉末にする必要はありません。お骨は骨壷に入れることはなく、土を1mほど掘ったところに埋葬し、土に還します。樹木葬は墓石を建てることはないので、費用もそれほどかかることはありません。
個人使用なら永代使用料として1区画50万円で、合同なら10万円から20万円になります。
墓標になる樹木は山林から選びます。またその土地で自生ができるのであれば自分で樹木を持ちこんでもかまいません。この場合は別料金になることもあります。
 

出棺
  葬儀が終わり、火葬に向けて柩に安置された遺体を送り出すことを「出棺(しゅっかん)」といいます。

出棺の際には、6人くらいの男性の手で柩を運びます。このとき柩は足元からだすようにします。
まず、喪主が先頭を歩き、その後を遺族、柩の順番ですすんでいき、霊柩車に乗せるときも足元から乗せるようにします。遺族が横一列に並び、喪主あいさつを済ませ火葬場へと出発します。
火葬場へ同行しない人は合掌をして見送ります。
 

焼香
  仏式の葬儀では、霊前に「香」を供える「焼香(しょうこう)」が行われます。
香をたくことで心身を浄化し、亡くなった方の冥福を祈るための作法になります。

焼香の回数は宗派によって異なっていますが、「三回」というのは三宝(さんぼう)(仏・法・僧)に捧げるためや、三毒(貪り、怒り、愚痴)の煩悩をひとつずつ消していくためにだといわれていますが、会葬人数が多い場合は1回焼香もありますので事前に進行のもの注意を聞いておく必要があります。

基本的な焼香の作法としては、遺族、僧侶に一礼し、焼香台へと進みます。
遺影に向い一礼をし、親指人差し指中指で香をつまみ、軽く頭を下げ、額の辺りまで指でつまんだ香をもっていきます。
この状態を「おしいただく」といいますが、宗派によってはこの行為は行いません。
指をこすり合わせる感じで香を落とし、遺影に向かって合掌し遺族、僧侶に一礼をして自分の席に戻るようにします。
 

精進落とし
  「精進落とし(しょうじんおとし)」とは、本来ならば四十九日までは肉や魚を使わない精進料理を食べていた遺族が、四十九日を過ぎて普段の食事に戻る忌明けにおこなっていたもののことを いいます。

仏教の教えから四十九日の間遺族は「殺生の戒をおかさないように」ということで肉や魚を食べることを避けて故人の供養を行っていたものですが、今は僧侶や世話役、参列者の労をねぎらうという形で、葬儀当日に行われることも多くなり、料理に関しても肉や魚を使用しているので本来の精進落としの意味とは少し形が変わってきたといえるでしょう。遠方から葬儀に参列してくださっている方も多く、再び四十九日に来てもらうのには大変だというところから葬儀当日に行われるようになったのではないでしょうか。

精進落としは、喪主のあいさつからはじまり、遺族が席を回ってひとりひとりにお礼をいい1~2時間ほどしたら喪主のあいさつによって終了となります。
 

祥月命日
  祥月命日(しょうつきめいにち)は、一周忌以降の亡くなった日と同じ日(命日)のことをいいます。

一周忌や三回忌などの「年忌法要」はこの祥月命日に行うもので、年忌法要にあたる年の祥月命日に親族などを呼んで年忌法要をします。年忌法要は、1年、3年、7年、13年、17年、23年、27年、33年というように3と7のつく年に年忌を行います。三十三回忌を最後にして、それ以降は「先祖代々」として先祖と一緒に供養します。
 

浄土宗
  浄土宗(じょうどしゅう)は法然(ほうねん)を宗祖として、阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊とする宗派のことをいいます。

浄土宗は、極楽浄土の往生して、そこで阿弥陀如来の説法を聞きそれで仏になることができるとし、極楽浄土は西方十万億土のかなたにあるとしています。法然上人(ほうねんしょうにん)は「極楽浄土に往生」するには阿弥陀如来に帰依し、深く「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を一心に唱えることが大切だと説いています。次の世で仏になることもできるし、再び人間となって人々を救うこともできるというのが浄土宗の教えです。

浄土宗の戒名は、生前に「五重相伝」を受け、院号、誉号(よごう)戒名をつけ、男性の場合は禅定門(ぜんじょうもん)、女性は禅定尼(ぜんていに)がつけられます。

仏壇は、中央にご本尊である阿弥陀如来を置き、向かって右に観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)左に勢至菩薩(せいしぼさつ)をを配置します。仏壇の前に戸張を配置する場合もありますが地域によって異なります。
 

浄土真宗
  浄土真宗本願寺派は、親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖とし、阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊とする宗派です。

浄土真宗では「阿弥陀如来に帰依すると決めたときから誰もが仏になれることを約束された」という教えで、仏になることを願って念仏を唱えるのではなく仏になれたことへの感謝を阿弥陀如来に捧げるという意味で念仏を唱えます。浄土真宗でも「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えますがこれは、「私は阿弥陀仏を心から信じ、敬います」ということを念仏として唱えています。

浄土真宗では受戒がないので、「戒名」ではなく「法名」をいただくことになります。法名の前には、お釈迦様の弟子であるという意味の「釈」をつけます。女性の場合は「釈尼(しゃくに)」をつけます。

仏壇は本尊を真ん中におき、右に十字名号左に九字名号の脇掛けを配置します。
 

初七日
  亡くなった当日から数えて七日目を「初七日」といいます。

この日に行われる法要を「初七日法要」といいます。人の魂は七日ごとに七回の審判を受けて次の世界に生まれ変わるといわれています。亡くなった方が善い世界へ旅立てるように生まれ変われるように祈り、この世にいる私たちが執り行う法要です。

「初七日」は故人が「三途の川」を渡るとされており、「三途」というのは橋を渡って向こう岸(あの世)にたどり着くための橋を渡る。浅瀬を渡る。深いところを苦労して渡るの三種類の方法を示しているといわれます。故人が橋を渡ってあの世へいけるように祈り法要を行うものです。

葬儀、告別式が終わった時点で亡くなってからすでに3~4日経過していますので、初七日の法要は葬儀が終了した3日後くらいに再び集まってもらうことになるので、最近では葬儀・告別式の当日に『繰り上げ法要』という形で初七日法要をするのが一般的です。
 

白木位牌
  葬儀の間、祭壇に飾る位牌を「白木位牌」といいます。葬儀の基本プランに含まれていますので改めて準備する必要はありません。

白木位牌は、もともと「野辺送り」のときにお墓に持っていく位牌で、四十九日の忌明けまでの仮の位牌と考えられています。「野辺送り」は昔土葬をしていたころ遺族や親しい人たちが埋葬地まで柩を運ぶ参列のことで、先頭で喪主が手にしていたことから「野辺位牌」とも呼ばれています。

白木位牌は忌明け法要のときに、魂抜きをしていただきお寺に納めます。
仮位牌といえどもそれまで故人の霊を祀っていた大切な位牌です。丁寧に扱うようにしてください。
 

白木祭壇
  「白木祭壇(しらきさいだん)」が広く普及したのは昭和に入ってからのことです。

火葬が主流になり、葬儀のあり方が変容していき、それまで主流だった葬送方法の「野辺送り」は姿を消してしまいました。白木祭壇は野辺送りの頃に使われていた道具と経典からのいわれをもとに作られたものです。祭壇最上部にある輿(こし)は「野辺送り」のときに使っていた棺を入れる「輿」をあらわしたものです。四華花(しかばな)はお釈迦様の入滅のときに咲いたといわれる真っ白な沙羅双樹(さらそうじゅ)をあらわしており、野辺送りにも欠かさず使われていました。
六灯(ろくちょう)は夜に行われることが多かった葬列に必要だったちょうちんの灯かりだったことと、生まれ変わりの「六道輪廻(ろくどうりんね)」に由来しています。須弥壇(しゅみだん)は、インドの世界観をあらわし、世界の中心と考えられている神聖な山、須弥山に由来しています。
お寺ではこの須弥壇の上にご本尊を置き荘厳(しょうごん)するものです。これらのものから白木祭壇はできているのです。
 

葬儀の互助会は誰のために加入しているか知っていますか?

真言宗
  真言宗は空海(くうかい)によって開祖されました。

大日如来を本尊とした宗派で「真言密教」ともいい分派が多いことが特徴として挙げられます。
空海は中国へ渡来し「密教」の実践を学び、日本に戻ってから真言宗を開きました。
真言宗では密教の修行を実践することにより、誰でもすぐに仏になれる「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」を教義としています。密教の修行は、「身口意の三密修行」と呼ばれています。
三密は「身密。身体の修行。口密。言葉の修行。意密。心の修行」の三つです。

位牌の戒名の上に刻まれる梵字は「ア」です。これは故人の霊が即身成仏したことで大日如来をあらわしています。墓石にもこの梵字を刻みます。白木位牌のときは、上に「新円寂」一番下に「霊位」とつけます。

仏壇の祀りかたは、中央に本尊である大日如来を置き左右には各分派により違いますが弘法大師や観世音菩薩を配置します。日常のお勤めには「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」を唱えます。
 

神道
  「神道(しんとう)」がはじめて文献に載ったのは「日本書紀」です。神式の葬儀は、「神葬祭」というのですが、「神葬祭」は、日本書紀にはすでに記されていたことから神葬祭は日本古来の葬法だといえます。

日本での神道に大きな変化があらわれたのは仏教伝来以降で、江戸時代の神官であった中西直方が「日の本に 生まれ出にし益人(ますびと)は神より出でて神に入るなり」と詠っています。
この詩の意味は、「祖先の神々より出た者は、やがて祖先の神々の元へ帰っていく」ということです。
これは人が死ぬとその霊魂は祖先である神々の元に迎えられ家族の守護神となると考えていることに起因します。このような神道の死生の観点からいうと、「ご冥福を祈ります」などという言葉は不必要でまったく相応しいものではないのです。
 

四十九日
  仏教では、ひとつの命が終わったら次の世界で生まれ変わる。それを繰り返すとされています。
四十九日は、次、どの世界に生まれ変わるか閻魔大王(えんまだいおう)によって最終的な審判が下るとされています。

生まれ変わる世界は「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」という「六道」ですが、遺族が法要をおこなうのは故人が善い世界に生まれ変われることを願って法要をおこなうのです。

法要には僧侶を招きお経をあげていただき、準備しておいた塗位牌に「魂入れ」をしていただき仏壇に納めます。この日に納骨をする場合は法要の後で墓地へ出向き僧侶による納骨式を執り行います。法要の後は、僧侶や参列者へのお礼の気持ちをこめて食事をふるまいます。遺族をはじめとする親族や友人知人が故人をしのび思い出を語ることが故人への供養になるのです。
 

精霊棚
  お盆に先祖を迎えるために設ける祭壇を「精霊棚(しょうりょうだな)」「盆棚」といいます。

精霊棚は、仏壇の前に設置するものですが、仏壇の扉は開けて置きます。位牌を仏壇から取り出し、精霊棚の中央に置きます。精霊棚の飾り方は小机の上に「まこも」(イネ科の植物で作ったゴザのこと)を敷き、青竹を四隅に立てて、上部に縄を張り巡らして、縄部分にそうめん、昆布、ほおずきをつるします。小机には香、灯明、水、果物野菜、団子や故人が好きだったものをお供えします。それと一緒にきゅうりの馬と茄子の牛をお供えします。きゅうりの馬、茄子の牛は、先祖の霊に向けて「帰ってくる時は馬に乗って早く帰ってきてください」「お帰りになる時は牛に揺られてゆっくりとお帰り
ください」という意味をもって供えられています。
 

生前葬
  生前葬(せいぜんそう)とは、本人が生きているうちに、本人主催で執り行う葬儀のことです。

本人が自分の人生を振り返りながらお世話になった人たちに感謝の意味もこめて行います。
「生前葬」というより「生きているうちにおこなう告別式」というほうがよいかもしれません。

生前葬の会場は、斎場などでおこなうのではなく、ホテルなどで宗教色を感じることのないような形式で行います。生前葬に関しては未だに浸透していないところがあるので招待される側も戸惑うことが多いことと思われますが、あらかじめ「生前葬」を行うことを伝えておきます。

香典はどうするのか、服装はどうするのか、本当に死んだときの葬式はどうなるのかなるなどの心配が招待客にはあると思いますがその点の心配をかけないように生前葬の詳しい内容をあらかじめ伝えておきます。生前葬は、本人の挨拶から始まり、来賓の挨拶。友人のスピーチなどを行い、写真やビデオを使い自分の人生を振り返るものにします。周囲で支えてくれた人たちへの感謝を述べて終わります。ほとんど食事をしながらの歓談になるので料理、花、音楽などの
演出は全て自分で考えます。自分の人生はこのように素敵だったと振り返るのが生前葬です。
 

生花祭壇
  生花祭壇(せいかさいだん)は、白木祭壇を使用せず、遺影を中心に生花をアレンジして宗教色の濃くない祭壇になります。ホテル葬や社葬によく使われたり、アットホームな家族葬などで人気のある祭壇です。

生花祭壇のメリットはオリジナルに溢れているということです。祭壇を設置しないので棺を置くスペースだけあればあとは綺麗な生花で囲まれた葬儀がおこなえます。これは葬儀会場に限らず、自宅でも行うことが出来ます。費用の面においても生花の値段だけですので非常に判り安い明細になります。
生花祭壇は家族葬から社葬まで少人数の葬儀から大規模な葬儀にまで対応できるところも大きなメリットになるうえ、最後のお別れに故人が大好きだった生花で送ることができるので遺族にとっても心が安らぐところがあるでしょう。
 

施餓鬼
  「六道世界」というのは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天という世界のことで、生前欲深い行いばかりしていたものは『餓鬼道(がきどう)』に落ちるといわれています。餓鬼道に落ちたものは食べ物が全て燃えてしまうので口にすることができず、やせこけた姿だがお腹だけ膨らんだ非常に恐ろしい姿になってしまいます。そんな餓鬼道に落ちてしまった人々のために、今生きている私たちが善行をおこない仏様の慈悲の力を持って浄土へ導いてもらうことを「施餓鬼(せがき)」といいます。

施餓鬼では僧侶の読経回向、水、食べ物で供養をします。この施餓鬼供養をしたことによって家族で食べ物のありがたさを見直すのにいい機会になるのではないでしょうか。
 

席次
  「席次(せきじ)」とは、葬儀や通夜で座る順番のことをいいます。

席次が決まっているのは、通夜式、葬儀式、告別式です。通夜式の場合は、祭壇に向かって右側が遺族の席になり喪主をはじめにし、血縁の濃い順に座っていきます。左側は葬儀委員長や世話役が座ります。一般弔問客の席順は特に決まっていません。

葬儀、告別式は通夜式と同じ席順になりますが、左側の一般弔問客の席順は、世話役代表、友人知人、会社関係者ということになります。葬儀式、告別式は着席した順がそのまま焼香の順番になるので、その点をしっかり覚えておきましょう。
 

施主
  葬儀の費用の負担や、葬儀の運営の責任を持つ人のことを「施主(せしゅ)」といいます。

ほとんどの葬儀では喪主と施主が同一人物ですが、喪主が未成年の場合や高齢者の場合は喪主と施主を別にすることがあります。また、社葬をおこなう場合は費用を負担する会社側が施主になり、遺族側が喪主になります。
 

世話役
  遺族に代わって葬儀を取り仕切る人のことを世話役といいます。

遺族が弔問に訪れる人に対してしっかりと対応できるように様々な雑用を分担して引き受けてくれ、葬儀の運営をスムーズに運べるように助けてくれる人のことをいいます。世話役はいくつかの役に分けられており、葬儀に関する経費の全てを出納する会計係り、受付、僧侶や弔問客会葬者を接待する係り、必要な品をそろえる係り、道案内や交通整理をする係り、通夜や葬儀の司会進行をする係りなどに分けられ、世話役の中の責任者になる人が世話役代表となります。

世話役代表は遺族が葬儀社を打ち合わせをするときにも同席します。そして各係りに指示を出し、通夜、葬儀が滞りなく進行するようにつとめます。葬儀費用は税金の控除対象になりますので、葬儀の間に使った買い物の領収書は必ず受取り、すべて残しておいてください。
 

遷霊祭・通夜祭 (神道)
  神道の通夜祭は仏式の通夜式と同じです。自宅か斎場で通夜祭を執り行います。

通夜祭の式次第を簡単に説明します。
斎主、副斎主、斎員が入場し、続いて喪主、遺族、親族、参列者が入場し着席します。斎主からご遺体に拝礼があり、参列者は斎主にしたがって、拝礼します。その後、副斎主か斎員が神様に供物を供えたあと斎主による祭詞が奏上され、玉串奉奠をおこないます。斎主が最初に玉串を捧げ続いて副斎主、喪主、遺族、親族の順に全員がおこないます。副斎主がお供え物を下げたあと斎主がご遺体に拝礼し斎主に従い全員が拝礼をします。斎主が先に退出し続いて副斎主、斎員の退出、続いて喪主たちも退出します。

通夜祭に続いて故人の御霊を霊璽(仏式の位牌にあたるもの)に移す「遷霊祭(せんれいさい)」がおこなわれます。式場の明かりを消した中で霊璽(れいじ)を柩に向けながら斎主が「遷霊の詞」を唱えます。霊魂が遷霊した霊璽を「仮霊舎」に安置し式場の明かりをつけて通夜祭と遷霊祭は滞りなく終了します。
 

葬場祭 (神道)
  神式の「葬場祭(そうじょうさい)」は仏式の葬儀に当たります。

「葬場祭」が終了した後に告別式をおこないます。
葬場祭の式次第は、手水の儀からはじまり、喪主、遺族、参列者が入場し着席をします。
斎主が入場する際には全員が一礼をして迎えます。進行係が開会の辞を述べると葬場祭は始まります。斎主が供え物や式場、参列者を祓い清める修祓の儀(しゅうばつのぎ)をします。参列者全員は起立をし、頭を下げ祓い清めていただきます。祝詞(のりと)の奏上がおこなわれます。この祝詞には故人の人柄や経歴が表されており、故人が今後守護神となり見守り続けることを祈ります。副斎主が故人を偲び誄詞(るいし)を奏上します。斎主の拝礼に続き一同もこれと一緒に拝礼します。弔辞・弔電を読みます。供え物を祭壇から副斎主がさげます。斎主が退場し、喪主があいさつをして
閉会の辞がのべられ葬場祭は終わります。

引き続き告別式がおこなわれる場合は、進行係が告別式の開始を告げ一般会葬者の玉串奉奠をし、全員の玉串奉奠が終了したところで告別式は閉会となります。
 

葬儀式
  「葬儀式(そうぎしき)」とは亡くなった方の冥福を祈るために、遺族や親族が営む弔い(とむらい)の儀式のことをいいます。

現在はほとんどが、葬儀式と告別式を同時に執り行っていますが正式には告別式は亡くなった方の友人、知人とのお別れの儀式になります。葬儀の基本になっているのは「葬儀式」です。

葬儀式は、寺院、自宅、葬儀会場などでおこなわれます。僧侶による読経ではじまり、全員による焼香で、亡くなった方の冥福を心から祈ります。
 

葬儀委員長
  「葬儀委員長」は社葬や団体葬、合同葬を執り行う際に、葬儀を主催し、運営する最高責任者の立場になる人のことをいいます。

社葬の場合、社員の社葬の場合は社長が葬儀委員長を務めます。現職社長の葬儀では、後任の社長が葬儀委員長を務めます。焼香が無事に終わり僧侶の退席を全員でお見送りをした後葬儀委員長の挨拶があります。遺族は葬儀委員長と同じ立場になるので、葬儀委員長の後ろに並びます。

今は、主に社葬(団体葬)のときに会社が選任した代表者を葬儀委員長にたて、そう呼んでいますが、以前は個人でも葬儀委員長をたてていました。葬儀を自宅でおこなうのが普通でしたので寺院や火葬の手配、会計や精進料理の準備などは隣近所が協力しておこなっていました。そこで、隣近所のことをよく知っている町内会長を葬儀委員長にたてていたのです。地域によっては今でも町内会長を 葬儀委員長にたてるところもあります。
 

曹洞宗
  曹洞宗(そうとうしゅう)は、道元を開祖として、「南無釈迦牟尼仏」をご本尊とする宗派です。

曹洞宗では修行の基本を「坐禅」としています。ただひたすら座禅を組むことをとても重要なことと考え坐禅の心と姿で生きていく「即身是仏」としてその教えを説いています。

曹洞宗の戒名には特別な決まりはありません。しかし墓石の上部には「円相」という丸い円を彫ったり、「南無釈迦牟尼仏」と墓石に刻むこともあります。

仏壇は、中央にご本尊、右側に高祖、承陽大師道元禅師をまつり、左側には太祖、常済瑩山禅師をまつります。そして般若心経を唱えます。
 

卒塔婆
  卒塔婆(そとうば)とは、お墓の後ろに立てかけてある梵字や戒名などが書かれている木製の細長い板のことを言います。

卒塔婆自体供養のために建てられるもので、故人の年忌や盂蘭盆会、彼岸などの供養と共に新しい卒塔婆に変えます。
 

玉串奉奠 (神道)
  神様に玉串を捧げる儀式のことを「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」といいます。

玉串は榊の小枝に「紙垂(しで)」と呼ばれる細長く独特の形に切られた白い紙をつけたもので、魔物から守ってくれる神の手をあらわしたものをつけます。神様を敬い、崇拝する心を乗せて玉串を捧げるのです。玉串奉奠は神式の葬儀では必ずおこなうものですので、「手水」「しのび手」とともにぜひとも覚えておきたい作法のひとつです。

玉串奉奠は、次のようにおこないます。
神職に一礼をした後玉串は左手で葉の部分を支えるように持ち右手を枝の部分の上になるように受け取り、右手の枝の部分を時計回りに90度回転させ、葉の部分が上になるようにし、左手を枝、右手を葉になるよう持ちかえ枝の根本が祭壇に向くようにし、玉串に両手を添えたままで玉串案にそっとおきます。その後、一歩下がり一礼をし音を立てないようにしのび手を2回して、最後に深く一礼をし、戻るのが玉串奉奠の作法になります。
 

檀家
  「檀家(だんか)」というのは寺院に墓を持ち金品等の寄進(きしん)を行い、その寺院の維持に協力する一般家庭を言います。

寺院と檀家の関係は今でも強く続いており寺院墓地を利用する場合はその寺院の檀家にならなければなりません。寺院の運営、維持に関して費用がかかる場合は檀家が布施をします。布施は「見返りを求めず自分の持つものを他人に分け与える」という意味もあり、寺院の維持に檀家が費用をだすのは布施になります。
 

団体葬
  協会や学校などの団体が責任を持って葬儀の費用をだし、運営に当たる葬儀を団体葬といいます。

団体葬がいくつもある場合は『合同葬』となります。団体葬も合同葬も初めは遺族、親族が密葬を行い、2週間から4週間の準備期間を設けてあらためて団体葬をします。
団体側の代表が葬儀委員長として遺族、葬儀社と相談をし争議の方針を決めます。遺族の意向を尊重するのは言うまでもありません。葬儀委員長をはじめ葬儀委員や実行委員が中心となり実質的な運営に当たります。葬儀会場は故人の信仰していた宗教にもよって選ばれます。
団体葬をおこなう場合は、土日祝日、友引は避けます。香典は受付で預かり管理をしますが香典返しは遺族がおこないます。
 

弔辞
  「弔辞(ちょうじ)」は、生前故人と親しかった友人が、故人の霊前でのべる「お別れの言葉」です。

遺族から弔辞の依頼を受けた場合は、人前で話すのは苦手であっても受けるのが礼儀です。正式な弔辞は巻紙に書きますが、現在では紙を蛇腹折にしていることが多いです。専用の紙を用意している葬儀社もありますので心配な場合は葬儀社に相談してもよいでしょう。弔辞は霊前に捧げた後は遺族が大切に保管しますので、心をこめて書くようにしましょう。弔事の文章は大体3分程度で終わるものにします。文章では『忌み言葉』に注意しながら故人の死を悼み、人柄や業績をたたえ、遺族には心の傷を慰める文章にします。

弔辞の作法は遺族に一礼し、祭壇に進み、遺影に一礼をし、弔辞を包みからだし両手で持ち読み上げます。読み終わったら元に戻し遺影に向けて祭壇に置き、遺影、遺族に一礼をし席に戻ります 。
 

手水の儀 (神道)
  神聖な場所に入る前に水で手と口をすすぎ清める神式の儀式を「手水の儀(ちょうずのぎ)」といいます。

「手水の儀」は次のようにおこないます。
まず、柄杓(ひしゃく)を右手で持ち桶に入れられた水をすくい左手をすすぎます。
次に左手に柄杓を持ち変えて右手をすすぎます。最後に左手で水をすくい、口をすすぎます。
その後左手を洗い流します。そのとき柄杓の中に水が残らないようにします。柄杓を元の場所に戻し懐紙で両手を拭きます。懐紙は葬儀社があらかじめ準備しているところが多いですが、最近では個別にお手拭を渡すようになっています。
 

弔電
  弔電(ちょうでん)は、ご遺族に対し弔意をあらわしたお悔やみの言葉を述べる電報のことを言います。

遠方で、通夜や告別式に参列できない場合は、訃報を受けてからできるだけ早く弔電を打つようにします。できるだけ葬儀の前日までに弔電が届くようにしたいものですが遅くなっても葬儀開始の2、3時間前までには到着するように配慮します。

弔電は午後7時までに申し込めば当日には届けられます。値段は打つ文字数にもよりますが、一般的な弔電の文章で28文字の場合はおよそ750円になります。また、弔電を打つ時は「忌み言葉」が故人の宗教によって変わってきますので故人の信仰していた宗教を配慮しながら弔電を打つようにします。
 

弔問
  弔問(ちょうもん)というのは、訃報(ふほう)を聞いてすぐに駆けつけお悔やみの言葉を通夜や葬儀のまえに遺族に伝えることを言います。

訃報が届いたらできるだけ早く弔問にうかがいます。お悔やみの言葉も「このたびはご愁傷様です」程度の一般的なものにとどめておきます。また手伝いができることがないか遺族に申し出ます。

弔問のときの服装は派手な色を避ければ普段着でいっても問題はありません。弔問に喪服で行くのは失礼に当たります。香典は通夜か告別式で渡すので弔問のときには渡しません。弔問のとき、遺族から故人との対面をすすめられた場合のみに対面をします。どんなに故人と深いかかわりがあっても間違っても自分の手で白布をめくるような礼儀知らずなことをしてはいけません。
対面をすすめられたら、まず故人の枕元で一礼をし、遺族の手で白布が上げられたら合掌し、最後に遺族に一礼をします。このときでも遺体に触ることがないように気をつけましょう。
 

追善供養
  「追善供養(ついぜんくよう)」というのは、亡くなられた方の冥福を祈って、生きているものがおこなう供養のことを言います。

「追」は後に従うという意味で「善」は「善い行い」の善です。生きている私たちが善い行いをして、その功徳をもって亡くなった方に回し向けるということになります。追善供養は「供養」なのでいつおこなってもかまわないものです。毎朝仏壇に手を合わせて礼拝する行為も「追善供養」になります。

ここでいう「追善供養」は「法事」としておこなわれる「供養のこと」をいいます。法事としての追善供養は、日が決められています。亡くなってから七日ごとの四十九日の忌明けまで行われる法要を「忌日法要」100日目の法要を「百か日法要」、一周忌や三回忌などの「年忌法要」です。
 

通夜
  本来の「通夜(つや)」は、遺族や故人と親しかった人たちが葬儀の前夜に一晩中遺体に付き添い、邪霊から守り、故人の思い出を語り明かし別れを惜しむものです。

最近では約一時間の通夜式としておこなわれるのがほとんどで「告別式にいけないので通夜式に」といった理由で通夜式に参列する人も少なくはありません。一般的に、亡くなった翌日に通夜、その翌日が葬儀、告別式になります。

本来の通夜に一番近いのは亡くなった当日の夜、親族や遺族で静かに過ごす夜のことになってきたように思えます。一晩中線香とろうそくの火を絶やさないで見守るという習慣は残っています。
 

通夜振るまい
  通夜式が終わった後故人と親しかった人たちに酒食の席を設けます。これが「通夜振るまい(つやぶるまい)」です。

参列をしていただいた御礼の意味もこめてもうけられていますが、故人とこの世で一緒にする最後の食事となりますので静かに思い出を語り合いながら故人を偲びます。遺族にすすめられたら一口でも箸をつけるのが礼儀です。しかし長居はしないようにします。
 

追悼ミサ (キリスト教)
  キリスト教の「追悼ミサ」は仏教では「法要」のことをいいます。カトリック(旧教)では「追悼ミサ」
プロテスタント(新教)では「記念式」といい、近親者や親しかった人を招き、亡くなった当日から数えて3日目、7日目、30日目に教会でおこなわれるものです。

毎年亡くなった月日に死者記念ミサをおこないますが、1年目のミサを盛大におこなう以外は特に決まりはありません。それ以降は10年、20年や、15年、25年など区切りのいいところで死者記念ミサをおこなうことが多いようです。

追悼ミサが終わってから、教会の別室か、自宅で茶話会を催し故人を追悼します。追悼ミサをおこなった教会には寄付、献金として謝礼を包みます。神父や牧師には個別に「御礼」として包むのが一般的です。
 

天台宗
  「天台宗(てんだいしゅう)」は最澄を開祖とし、阿弥陀如来(観世音菩薩(かんぜんおんぼさつ)、薬師如来(やくしにょらい)をお祀りするところもあります)を本尊とする宗派です。

天台宗では「仏陀の教えは『妙法蓮華教(みょうほうれんげきょう)』に極まる」とするところから法華経を中心とした菩薩戒(ぼさつかい)、顕教(けんぎょう)、密教、禅法(ぜんぽう)を『四宗相承(ししゅうそうじょう)』といい密教や禅、戒なども融合させた総合仏教であるとしており、この世に存在するすべてに仏になる可能性があると教えています。天台宗では「悪事を犯さない」「善法をおさめる」「全ての人に力を尽くす」という3つのこと特に守るべき戒として重視しています。

仏壇には、ご本尊として不動明王や毘沙門天などを祀るところもありますが地域によって違いもあります。菩提寺とよく相談することをお勧めします。
 

電脳墓
  「電脳墓(でんのうはか)」というのはモニター画面でお参りする新しい形のお墓です。

寺院や霊園内に納骨堂と一緒に設置されていて、専用カードをセットすると、故人の戒名、俗名、享年や、生前の姿を映し出すようになっています。画像を見ることで大切な故人との思い出が鮮やかによみがえり、今までの御墓参りのイメージを一新するものになるかもしれません。

電脳墓は年々高騰する墓地の価格や、墓地不足の解消につながるものと思われています。
ひとりひとり専用のカードが作られるので「個人墓」の部類に入るでしょう。費用は管理料として支払います。永代供養を希望する場合は永代供養料も加えて支払いをします。墓地や墓石の購入もする必要がなく費用は20万円程度で、永代供養料を入れても50万円程度でおさまるでしょう。宗教も一切問われることもありませんし、インターネットでどこにいてもお墓参りができるというメリットもあります。
 

灯明
  神仏に供える火のことを「灯明(とうみょう)」といいます。

その火は清らかな「浄火」であることから人間の息を吹きかけるのは、非礼にあたるとされています。
灯明の光は、智慧をあらわすとされ、ローソクたて、香炉、花立の3つは「三具足」といい、仏教の基本的な仏具になっています。仏壇に灯明を供えるのは、灯明の光が旅を続ける死者の魂を浄土へと導くと考えられているのです。灯明を2つ一組の一対としているのは、ひとつはお釈迦様の教え、もうひとつは自分自身を表すという意味があるとされています。
 

読教
  仏教の葬儀では僧侶による読経(どきょう)があります。
なぜお経を上げるのかということについては宗派により考え方が色々あるかと思われます。
しかし宗派によって考え方は違っても、故人の霊を慰め、あの世で受ける審判が善いほうへ向かうことを祈っておこなわれると考えられています。
 

土葬
  遺体を火葬しないで土の中に埋めることを「土葬(どそう)」といいます。

日本は元来土葬をするのが一般的でしたが、戦後に「墓地・埋葬法」が制定されてから急激に火葬が広まり今では99%が火葬をしています。火葬を推進するのには衛生上の理由があるのと日本の国土は非常に狭く、家を建てる土地だけではなく墓を建てる土地も不足しがちになっています。
まして土葬するスペースはますます確保しにくくなっています。自治体によっては土葬を禁止しているところもあります。自治体が土葬を許可しなければ土葬はできないということになります。どうしても土葬を希望するなら他の自治体に届出を出さなければいけません。しかし他の自治体に遺体を搬送することや土葬の手続きはとても困難になります。
 

友引
  「友引に葬式を出してはいけない」ということは全国的に有名ですが、本来仏事にはなんら関係のない話です。「友引」は「共引きして勝負無し」ということで「ひきわけ」という意味です。

仏の字が使われている仏滅も「物滅」といい「すべてがむなしい日」なのです。長い歴史の中「共」が「友」に変わり、死んだ人が友人をあの世に引っ張っていくという解釈になり火葬場も友引が休日になりました。解釈の変化で色々な迷信が生まれてきているようです。
 

直会 (神道)
  「直会(なおらい)」は、それまで神前に供えられていた神饌、お神酒をおろして、参会者全員で分かち合い、一緒に頂くことを言います。

神事に奉仕するものは、一番初めに心身を清めそれから儀式を始めます。準備が全て整ってから神聖な場に臨み、その状態は神事が無事に終了するまで続きます。神事が終了するとそのような状態から解して普段の日常生活に戻ります。このことを「直る」といい「直会(なおらい)」の語源となっています。神前に供えた食物は神様が召し上がったありがたいものという考えから通夜祭、葬場祭、仏式の法要にあたる霊祭が終了した際に神に感謝しながらお供え物をいただくのです。
 

南無阿弥陀仏 南無妙法蓮華経
  ふたつに共通している「南無」はサンスクリット語で「帰依する」「信じて敬う」「従う」という言葉で「私は○○に帰依します」という意味があります。「阿弥陀」も同じくサンスクリット語で無量の命と無量の光ということで量り知ることのできない無限の命と光明をあらわします。

「南無阿弥陀仏」」は「無限の命と光明をあらわす仏様。わたしはあなたを心から信じ敬います」といっていることになります。漢訳をした大乗仏教の経典の総称を「法華経」といいます。その題目が「妙法蓮華教」にで「お題目を唱える」」といういいかたになります。「南無妙法蓮華経」は「私は法華経の教えに帰依します」という意味になります。
 

新盆=初盆
  亡くなってからはじめてのお盆を「新盆(にいぼん)」「初盆(はつぼん)」といいます。

もし、忌明け前にお盆を迎えたなら翌年のお盆が初盆にするのが一般的になります。
普段のお盆よりも手厚くおこなう慣わしで、親戚や友人知人を招いて僧侶に読経していただき全員に食事をしていただきます。初盆は故人の霊にとってもはじめて家に戻ってくるので、初盆には故人が迷わず家に戻れるように白張り提灯をつるして目印にします。これは、初盆のときにだけ使用する提灯なので送り火とともに燃やすかお寺に納めます。古くから初盆を迎えた家には「盆ちょうちん」を送る風習がありますが、最近では提灯の置き場所に困ることもあるのでよく相談しながら希望する別の品を送っても問題はありません。
 

日蓮宗
  「日蓮宗(にちれんしゅう)」は日蓮を宗祖とし、曼荼羅(まんだら)を本尊とする宗派です。

日蓮は、厳しい修行を続けながらあらゆる書物を読み、「教え」を捜し求めました。修行の日々の中、お釈迦様の教えで「法華経(ほけきょう)」が唯一の救いになる経典であると確信しました。そして法華経の内容を実践することを説く日蓮宗を開いたのです。

日蓮宗では「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」と唱えますが「南無」は心から信じます。
帰依します。という意味で「妙法蓮華教」というのは「法華経」のことです。「南無妙法蓮華経」の七文字は、訳された「題目」であるから「お題目」ともいわれています。お題目を唱えることは、日蓮宗ではとても大切なことで特に重要な修行になります。
 

年忌法要
  亡くなってから一周忌以降、毎年迎える祥月命日を「年忌」といいます。年忌の中で定められた年におこなわれる法要を『年忌法要』といいます。

一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌、百回忌の年忌がありますが、三十三回忌をもって最後とし、それ以降は「先祖代々」として供養をします。一周忌と三回忌は親族や友人知人を呼んで法要を営み七回忌以降は徐々に人数を減らし身内だけでおこなうようにします。年忌は自宅や菩提寺で僧侶にお経を上げてもらい、焼香、卒塔婆をあげて供養します。法要が終わった後は場所を変えて僧侶や招待客を食事でもてなします。
祥月命日より早めに法要をおこない、招待客の都合を考えて土日祝日を選びます。
 

年賀欠礼 喪中ハガキ
  喪中に正月を迎える場合は初詣はもちろんのこと、初飾りや年始のあいさつ回りも行いません。
年賀状も出しません。「喪に服しているので年賀状は欠礼いたします」というお知らせをすることを「年賀状欠礼」といいます。この年賀状欠礼のお知らせをするはがきが「喪中はがき」と呼ばれています。

喪中はがきは、年賀状の受付を開始する前、できれば相手が年賀状の準備をする前までに出すようにします。12月に入ってからお亡くなりになられた場合、松の内が明けてから寒中見舞いを出すようにします。
 

納骨 納骨式
  「納骨(のうこつ)」とはお墓の納骨堂に遺骨を納めることで、このときおこなわれる儀式が「納骨式(のうこつしき)」になります。

すでにお墓がある場合は、四十九日の忌明けに合わせて納骨を行うことが多いです。新たにお墓を買い求める場合は、お盆やお彼岸、一周忌の法要に納骨をします。

納骨の当日に準備するものはご遺骨、埋葬許可証、墓地利用証(必要ない場合もあります)印鑑、数珠、花、果物などのお供え物、線香、ローソク、お布施、石材店への謝礼となります。
石材店に墓石を動かしてもらい遺骨を納め、僧侶のお経から始まります。
1人ずつ焼香をし、卒塔婆を立てて終了します。
 

箸渡し
  火葬された遺骨を、木と竹を組み合わせた箸で2人1組になってひとつの骨を拾います。
そして挟んだ遺骨を骨壷に入れていきます。地域によっては全員でおこなうところと近親者のみでおこなうところがあります。「箸」は「橋」に通じると考えられ、この世からあの世へ死者の魂を橋渡しする三途の川を渡るという想いをこめておこなわれるものです。
 

彼岸
  彼岸は春分の日、秋分の日を中心とした前後3日の7日間のことをいいます。

「彼岸」はお寺で法要がおこなわれ、私たちはお墓参りなどをして供養します。「彼岸」というのは仏教用語で「むこう岸」といい、極楽浄土のことを示しています。

春分の日と秋分の日は昼と夜の長さが同じという「中道」のときです。仏教ではどちらにも偏らずにまっすぐであるということで「中道」は尊ばれているのです。この期間に「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を実践し「彼岸」に渡る努力をしましょうという考えからきています。また極楽浄土ははるか西にあるので真西に太陽が沈むこの日は「極楽浄土への道しるべ」と考えられているようです。
 

棺 柩
  「棺(ひつぎ)」と「柩(ひつぎ)」どちらもおなじ「ひつぎ」ですが、中に何も入っていないものを「棺」といい、ご遺体が安置されたものを「柩」といいます。

「棺」にご遺体を納めることを「納棺の儀」といい、ご遺体を運ぶ車を霊柩車といいます。このようにご遺体を納める前と納めた後の字を使い分けているのです。

現在の棺は火葬を前提として作られています。棺は木製のものが主体で、価格は5万円くらいからになりますが、見事な彫刻が施されている棺は50万円から200万円のものもあります。布張りで作られたものや色も淡いピンクのものもあります。キリスト教徒向けの棺としては紺か黒地で白の十字架が記されたものがあります。
 

百か日
  亡くなってからちょうど100日目を「百か日」といい、正確には「百か日忌」といいます。

以前はこの日も法要をおこなっていましたが最近では身内だけで供養するか墓参りをすることが多くなっています。百か日のお墓参り供養は土葬が主流だった頃の名残だといわれています。火葬が主流の今では、遺族の悲しい想いに区切りをつけるの「卒哭忌」の意味合いが強くなっています。
「哭」は泣き叫ぶこと。「卒」はやめること。このことから泣くことをやめ心に踏ん切りをつけて新しい生活のスタートを切るといった意味合いのほうがぴったりくるでしょう。
 

副葬品
  出棺のときに、故人が愛用していた品物を柩に納めます。この納められた品物を副葬品といいます。

副葬品として入れられないものは靴やバック、CD、ビニールや化学製品等です。また、釣竿や杖なども火葬炉の故障の原因になるため入れられないほか、缶ビールやめがねなども遺骨の損傷につながるため入れることができません。

あの世でも趣味を楽しんでほしいという遺族の想いを尊重し今では思い出の品の写真を撮って棺に納め、品物は形見として取っておくのがよいでしょう。
 

布施
  最近では、仏事のときにお寺に納めるお金のことを「お布施」といっていますが、本来の意味の「布施」はサンスクリット語で「ダーナ」といい「何も見返りを求めずに自分の持つものを他の人に分け与えること」を意味しています。

布施には「財施(ざいせ)」「法施(ほうせ)」「無畏施(むいせ)」の三つの種類があります。
財施というのは、金品や衣食住の財を施すことで、法施は仏の教えを説くことで、無畏施は、慰めの言葉をかけて、心からの怖れを取り除くことでお金や物だけではなく、仏の教えを説くことで明るい笑顔でいること、優しい言葉をかけることが「布施」になるのです。僧侶が私たちに仏の教えを説くことが「法施」で、私たちが施す金品が「財施」になります。

よく「お布施の相場はいくらくらい」ということを聞きますがこれはいつの間にか「お布施」がお寺に支払うお金という捉えられ方になっているということです。お布施の金額を決めている寺もありますが「その人の持てる範囲のものを施す」ことが「布施」なので一律の金額にするには無理があるでしょう。
 

仏教
  仏教は、イスラム教、キリスト教と並ぶ世界三大宗教のひとつで、文字通り「仏の教え」です。
仏というのはお釈迦様のことで、お釈迦様は約2600年前にインドにあらわれ、35歳で悟りをお開きになってから80歳でお亡くなりになるまでの45年間説かれた教えが仏教です。

仏教は人が幸せに生きるための教えです。お釈迦様が開いた悟りは「真理」を見極めることです。
「真理」というのは「法」といい、すべてのものに平等な真理の法を「仏法」といいます。仏法にそむけば罰を受けます。これが「因果の法則」です。「善い行いをすれば善い方へ」「悪いことをすれば悪い結果に」つながります。現在生きている私たちも悪いことをするのではなく善い行いをして極楽浄土へ近づけるように心がけたいものです。
 

仏壇
  「仏壇(ぶつだん)」は仏様を安置する壇(他より一段高くしたところ)のことをいいます。

現在は、各家庭にある箱型の厨子(ずし)を仏壇と呼んでいます。本来お寺にある須弥壇(しゅみだん)を小さくしたものです。置く場所は南向きか東向きとされていますが、それが無理な時は部屋の上座におくようにします。南向きの場所に置いても家族の目に触れない場所や階段の下などに置いたりするのは供養の意味から大きく外れてしまいます。
 

分骨
  埋葬や火葬された遺骨を複数の墓所に分けて納骨することを「分骨(ぶんこつ)」といいます。

火葬場で分骨する場合は事前に葬祭業者に分骨用の骨壷と分骨の数だけ「火葬証明証」を発行してもらいなくさないように保管しておきます。すでにお墓に納骨している遺骨を分骨する場合 は墓地管理責任者から分骨証明書を発行してもらい分骨先の墓地管理責任者に提出します。
墓地から遺骨を取り出すとき、分骨先に納骨する際にはそれぞれ僧侶に読経をしてもらいます。
分骨をおこなうのは身内の遺骨を兄弟姉妹がそれぞれ自分の身近なところで供養したいという場合が多くあります。中には「ばらばらにするのは嫌だ」と考える人もいます。遺骨は「祭祀を主催するもの」に所有権があるので所有権を持った人が拒否をした場合には分骨はできません。
どうしても分骨をしたいという時は弁護士を立てて争うことになりますが供養のための分骨で故人を悲しませるようなことはできるなら避けたいことです。
 

仏花
  仏壇やお墓にお供えする花のことを仏花(ぶっか)といいます。

花屋などで、「仏花一束○○○円」という形で仏様にお供えする花を売っていることが多いので目にする機会が多い花だといえるでしょう。仏花に使われる花の種類は菊をメインにして季節によってキンセンカやカーネーション、リンドウやグラジオラスなどを使った仏花があります。百合やトルコキキョウが入ると金額があがってきます。菊を供えるのは、菊の芳香が邪気を払う力があるといわれ、仏様を守ってくれると信じられているからです。仏事にお供えする花の数は奇数が基本となります。
仏花として売られているのも3,5,7本が一般的です。今では本物と同じように作られた造花があり、脱臭効果のある造花を使用するのもいいでしょう。
 

幣帛 神饌 (神道)
  神前に奉納するものは総称して、幣帛(へいはく)といいます。

古来、神に捧げたものとして、布帛、貨幣、衣服、紙、玉、農耕具などがあり、それら全てを「幣帛」と呼んでいましたが、現代では布帛を「幣帛」として絹織物一反捧げることが多く、現品を捧げる代わりにお金を包む場合は「幣帛料」とします。同じように神に捧げるもので、食物、水は神饌(しんせん)または御饌(みけ)として別に考えられていました。

お供えした御饌は神の恩恵を賜ったものであるから後からいただきます。家にある神棚に供えた食物や水も「御饌」なので神棚からさげたあとはありがたくいただきます。
 

ペット葬儀
  犬や猫などのペットも今では家族の一員で、一緒に過ごした大切な時間を考えると「きちんと弔ってあげたい」という気持ちが出るのは当然のことです。昔は家の庭に埋めてお墓を作ってあげることもできたのですが今の住宅事情を考えるとそれも難しくなりました。
「ペット葬儀」が急成長したのは、ちゃんとした形でペットとお別れがしたいという飼い主の気持ちの表れからだと思われます。

「ペット葬儀」は専門業者に依頼するか、ペット供養をしてくれるお寺にお願いしてもいいでしょう。
仏教では全ての生き物は生まれ変わるといわれていますので動物もちゃんと供養すれば生まれ変わることができるでしょう。飼い主がいつまでも悲しんでいればペットもなかなか離れがたくなるのできちんと「ペット葬儀」をして心の整理をするのにはいい機会なのかもしれません。
 

葬儀の互助会は誰のために加入しているか知っていますか?

法事 法要
  法事(ほうじ)は、葬儀に関わることだけでなく祈願するときや慶賀を含む全ての仏教行事のことを示すものでした。これに対し「法要」は亡くなった人のためにおこなう「追善供養」のことです。

法要は、僧侶の読経や食べ物や飲み物などのお供えをすることで功徳を積み、その功徳を故人や先祖へ回向(たむけるという意味)することでその冥福を祈ります。それに対し法事は前もって招待状を送付しますが、近親者だけでおこなう場合は電話連絡だけでも問題はありません。

土日や祝日にあわせる場合は実際の命日よりも早い日程に設定します。
また二つ以上の法要をあわせておこなう場合には「命日が早いほう」にあわせて法要をおこないます。
二つ以上の法要をあわせておこなってもいいですが、一周忌だけは他の念回忌とはあわせることをしないで、丁寧に法要をおこなうようにしてください。
 

墓誌(ぼし)
  墓誌(ぼし)は本来、故人の名前や経歴や業績などを金属や石に刻んだものを、柩にいれ一緒に埋葬するものでしたが、現在では墓地の敷地内の地上に建てられ、故人の戒名、俗名、死亡年月日、享年(死亡したときの年齢)などを刻んだ石版のことを「墓誌」というようになりました。

「墓誌」の呼び名は宗派によって異なります。「戒名碑」や「法名碑」「法号碑」などともいいます。
墓誌の形は板状のものが一般的ですが、台座型のものや自然の岩をつかったものなどがあります。
墓誌は、お墓参りにいったときにそこに刻まれている先祖の名前や歴史を知り、また、故人を偲ぶことから「過去帳」の役割も果たしているといえます。
 

菩提寺
  先祖代々のお墓があるお寺、もしくは新しく墓を求めたお寺のことを「菩提寺(ぼだいじ)」といいます。

サンスクリット語で「ボーディー」の読みを漢字にしたものが「菩提寺」で「やすらかなさとりの境地」という意味です。菩提寺のことを「菩提所」や「壇那寺」ともいい、その家の葬儀や先祖代々の追善供養をおこなってくれます。
 

ホテル葬
  家族葬で葬儀が終わった後、遺族や親族友人知人といった親しい者たちを招いてホテルを会場にしておこなわれるお別れ会やしのぶ会などことを「ホテル葬」といいます。

ホテル葬は無宗教葬でおこなうので好きな音楽をBGMにしたり室内の装飾や演出、料理などはすべて主催者、故人の生前の意志で決められます。ホテル葬に式次第というのはないので故人の思い出を語りながら会食をし主催者側が謝辞を述べた後閉会にします。
 

本尊
  それぞれの宗派の教えの根本となる信仰の対象を形として表したものが「本尊(ほんぞん)」です。
本尊は「根本として尊敬すべきもの」という意味を持っています。

仏教では宗派によって本尊が異なります。「阿弥陀如来(あみだにょらい)」を本尊にしているのが天台宗、浄土宗、浄土真宗本願寺派、真宗大谷派で、「釈迦如来(しゃかにょらい)」を本尊とするのが臨済宗と曹洞宗で、「大日如来(だいにちにょらい)」を本尊とするのが真言宗 、「曼荼羅(まんだら)」を本尊とするのが日蓮宗です。

本尊を新しくした場合は僧侶に「魂入れの儀式」をお願いし、また不要になった本尊や位牌は菩提寺に納め「お焚き上げ」をしていただきます。決して自分で廃棄処分はしないようにしてください。
 

埋葬、埋葬許可証
  法律の定義では、死体を土中に葬ることを「埋葬(まいそう)」といい、お墓は死体を埋葬、もしくは焼骨を埋蔵するところとなります。

現在の日本はほぼ100%火葬されます。火葬が終わったお骨を納骨堂やお墓に納めます。
埋葬や埋蔵をするのには市区町村長の許可が必要で、「許可証」の交付を受けるために申請手続きが必要となります。

故人が死亡した後、医師に「死亡診断書」を書いてもらいます。死亡診断書と死亡届は一緒になっていますので、市町村役場へ行き「死体火葬許可申請書」と一緒に提出します。提出が終わると「火葬許可証」が発行されるのでそれを火葬場には必ず持参し、火葬場管理事務所に提出します。
火葬が終わると「火葬許可証」に火葬が滞りなく終了したことの証明を記載してもらいます。これが埋葬許可証になります。埋葬するのにも埋蔵するのにもこの埋葬許可証がなければできませんので、埋葬、埋蔵が終了するまではなくさないようにしっかり管理するようにします。
 

枕直し、枕飾り、枕経
  今はほとんどの方が病院でお亡くなりになることが多くなっているので、病院から自宅へご遺体が
戻ってきたら、ご遺体の頭が北の方向を向くように寝かせます。手は胸元で合掌させて、顔には白い布をかけます。このことを「枕直し(まくらなおし)」といい、お釈迦様が入滅したときの姿である「頭北面西」をあらわしたものになります。

「枕飾り」は白い布を掛けた小机に三具足と呼ばれる、燭台、香炉、花立と樒、水、鈴(りん)一膳飯、団子を準備し、ご遺体の枕元に供えます。枕飾りに供えるものは地域や宗派により異なります。
このときにご遺体を魔物から守るという意味のある「守り刀」として小刀や包丁を置いたり、故人の着物や布団をさかさまにしてかけたり、上下を逆にして屏風をおくなどといった「逆さごと」をしますが、これも地域や宗派によってのならわしがあります。

枕直し、枕飾りが整ったところで、僧侶をお呼びしお経をあげてもらいます。これを「枕経」といいます。
この枕経が、死後初めて僧侶にあげてもらう大切なお経になります。
 

満中陰
  仏教の死生観は、人が死んでから次の世に生まれ変わるまでの期間を「中陰(ちゅういん)」あるいは「中有」といいます。「中陰」とは「どちらでもない」「中間的な存在」という意味で、亡くなった方は「すでにもうこの世の者ではなくなったが、次の世にも生まれ変わっていない状態」のことをいいます。

七日ごとに七回の審判が繰り返し行われます。7回目の審判となる49日目は、次に生まれ変わる世が決められる最終審判の日なので「中陰」の期間は終了します。

中陰の期間が満了したので「満中陰(まんちゅういん)」といいますが、この日が49日目であることから「四十九日(しじゅうくにち)ともいいます。
 

三具足、五具足
  ろうそくを立てて火を灯すための燭台、花を立てる花瓶、香を焚くための香炉の三つを「三具足(みつぐそく)」といい最も基本となる仏具になります。

燭台と花瓶が一つずつ増え、一対になったものと香炉とをあわせた五つが「五具足(ごぐそく)」です。
この五具足は法要などの特別なときだけに使われるものです。

もともと三具足しかない場合は、法要でも三具足のままでも問題はありません。三具足の場合は香炉を中心にして向かって右に燭台、左に花瓶をおきます。
五具足の場合も中心は香炉で、香炉の両側に燭台。燭台の外側に花瓶を置くようにします。
 

密葬、本葬
  密葬というのは遺族や親族だけで内々でおこなわれる葬儀のことです。社葬などをおこなう場合、先に、遺族、親族の近しいものだけで「密葬」をおこないます。内容的なものは、広く友人知人らがお別れをするための告別式となるのですが、社葬などのほうを「本葬」と呼んでいます。

個人葬であっても亡くなった時期が年末年始なら松の内が明けてから日を改めて「本葬」をしたり、仕事の繁盛期間をさけて本葬をおこなったりします。家族葬も遺族、親族、親しい友人らでおこなわれる葬儀ですが、密葬と違う点は「先に密葬をおこなって、後に本葬をする」ということはありません 。

「密葬、本葬」は対になるのです。密葬は、遺族、親族の近親者で故人を弔うので友人知人が別れを告げる『告別式』はおこないません。まだ、密葬と、本葬があまり定着していないので周囲の連絡を十分におこなっておくようにしましょう。これとは別に、葬儀を行わずに火葬、埋葬をするのも「密葬」といいます。
 

無縁仏、無縁墳墓
  法律で「葬られたものを弔い、その墳墓を管理、維持していく後継者がいない墓のこと」を 「無縁墳墓(むえんふんぼ)」といいます。一般的に言うところの「無縁仏(むえんぼとけ)」です。

日本のお墓は、代々その家の「長男」が継いできましたが、核家族化や少子化が進む昨今、「無縁墳墓」になるお墓は年々増える一方です。

寺院等にあるお墓を「無縁墳墓」として扱うようにするには一定の手続きが必要です。管理されていない墓の縁故者に向けて1年以内に申し出をしてもらう旨を「官報」に記載すること。これと同様の立て札を立ててお墓の見え安い位置に立て札を設置すること。名乗り出るものがいなく1年経過した場合、官報の写しや立て札を設置した状態の写真などの必要書類を市区町村長に提出します。

「無縁墳墓」と認定されたなら、遺骨を取り出し無縁供養塔に移動し供養することになります。
無縁供養塔や無縁合同碑などに改葬された後も僧侶による経があげられ、線香をあげ、花を手向け、お彼岸やお盆などは多くの人が手を合わせてくれます。誰も墓参りをしてくれずに荒れたまま無縁墳墓の状態のままでいるより魂もなぐさめられるようになるのではないでしょうか。
 

無宗教葬
 

「無宗教葬(むしゅうきょうそう)」というのは、僧侶などの宗教者を招かず、焼香のような宗教の意味
合いをもった儀礼をおこなわない葬儀のことをいいます。

宗教を信じないという意味ではなく「宗教色」が感じられない人それぞれの演出ができる葬儀と
捉えるのがいいでしょう。無宗教葬は、あまりなじみがなく、通夜、葬儀告別式のすべてを「無宗教葬」
でおこなうことは少なく、通夜、葬儀は身内だけでおこなう家族葬にし、日を改めてお別れの会などを
無宗教葬にするという形が多いようです。無宗教葬を希望する人は年々増加しています。葬儀を
「死者を弔う儀式」という捉え方から、「人生最後のセレモニー」という捉え方に変わってきている
ようです。
 

冥土、冥途
  死者の魂が、行き先が定まらず暗闇をさ迷い歩く世界を「冥土 冥途(めいど)」といいます。

人の魂は死後49日間、次、どの世に生まれ変わるか七日ごとに七回審判をうけるといわれています。49日目に閻魔大王から最終的な審判が下るまでこの世の者でもなければ次の世界の者でもなく暗闇をさまよっている状態にありこの闇のことを「冥土」というのです。

審判が下されると死者の魂はようやく冥土での旅を終えて次の世界に生まれ変わることができます。「ご冥福をお祈りします」という言葉は、冥土の旅を無事に終えることを祈るという言葉です。
 

冥福
  「ご冥福(めいふく)をお祈りします」という言葉は、遺族に述べる「お悔やみの言葉」の中でも、最も一般的に使われる言葉です。この言葉の意味は「故人の死後の幸福をお祈りしています」ということです。
 

木魚
  「木魚(もくぎょ)」は、僧侶が読経をするときにリズムを整えるのに使う道具です。

リズムを整えるのと同時に眠気を覚ましているとも言われます。木魚、木魚のしたにおく座布団、撥(はつ)(木魚をたたく専用の棒)の3つがセットになっています。「魚板」を打ち鳴らして人を集めたり時報の代わりとして禅寺で使われたりしていました。木魚は「魚板」をもとに作られたものです。
「魚板」は魚の形をした板です。木魚には魚が描かれています。魚は目を閉じることないことから、常に修行にはげみ精進するという象徴とされています。
撥でたたくというのは、内側から煩悩をたたき出すということをあらわしているといわれています。
 

喪主
  「喪主(もしゅ)」は、遺族の代表で葬儀を主催する人のことをいいます。

故人に一番近い人が喪主になります。また故人が遺言ですでに喪主を指定している場合もあります。
夫婦の場合は配偶者が喪主になります。配偶者がすでに亡くなっていたり、高齢の場合は、成人した子供が喪主を務めます。喪主の大切な仕事は弔問を受けることです。葬儀委員長を初めとする世話役が葬儀の雑事のサポートをしてくださるので、喪主は弔問の対応に専念ができるのです。
喪主は遺族を代表して僧侶、弔問客の対応、通夜ぶるまい、告別式の終了、出棺に際してのあいさつをします。
 

喪中
  「喪中(もちゅう)」というのは遺された家族が喪に服す期間のことを言います。

喪に服している期間は故人の死を悼み、自ら身を慎むものです。一般的には、父母、子、兄弟姉妹、義父義母が亡くなった場合も1年間喪に服します。祖父母や義理の兄弟姉妹が亡くなった場合も喪中とすることがあります。

喪中には結婚式などの慶事はさけ、神社の参拝やお正月の飾り、新年のあいさつ回り、年賀状も欠礼とします。年賀状や新年のあいさつ回りは、仕事の都合上欠かせない場合は家族と相談し仕事関係の方だけにおこなうようにしてください。
 

喪服
  葬儀のときに着る黒無地の服を「喪服(もふく)」と呼んでいますが、もともと、喪服は「喪に服しているものが着る着物」という意味で黒ではなく「白」が本来の日本の喪服の色でした。今でもご遺体には白装束を着せています。昔は遺族も同じように白い着物を着て葬儀を行っていたため「野辺送り」では白い着物を着て参列する遺族の姿がみられていました。

喪服は「喪に服しているものが着る」ということで今のように参列者全員が着るものではありませんでした。喪服の色を黒にするようになったのは明治のころです。また参列者全員が黒の喪服を着るようになったのは昭和に入ってからです。
 

遺言、遺言執行者
  「遺言(ゆいごん)」というのは生前の最終的な意思を遺言者の死後、確実に実現させるための法律に基づいた制度です。

遺言のおもたるものは、財産の分配や事業の後継者について遺言を残すことが多いです。
法律上、遺産相続の権利のないものに遺産相続をさせたいという場合や、逆に財産を相続させたくない者への対処や財産の寄付を希望することなど、正式に遺言をすることで、速やかに実現されるものです。遺言の作成方法は民法で細かく定められていますので遺言を書いたものが無効にならないためにも行政書士などの専門家に相談して作成するのがよいでしょう。

「遺言執行者(ゆいごんしっこうしゃ)」は「遺言書」の内容を実現されるため、財産の管理や分割など遺言に記されたことを執行する権利を持った人のことを言います。未成年と破産者以外は誰でもなれますが、かなり専門的な知識を必要とするので専門家に依頼するのがいいでしょう。
 

友人葬
  一般的な意味では友人が主催して行う葬儀のことを「友人葬」といいますが、現在は創価学会の葬儀のことを「友人葬」あるいは「学会葬」といいます。

僧侶を招くことはなく、「儀典長(ぎてんちょう)」を中心にして会員が「お題目」を唱えます。葬儀全体を会員のみで行うので、お布施を準備する必要はありません。また、学会の仲間同士が葬儀の手助けをしてくれるので近くに親戚がいないという方も安心して任せられるのです。

基本的には香典は包まないとされていますが、強制ではないようです。式場になる葬儀会館でも、学会以外の方が参列しても戸惑わないように案内係やマニュアルを作成して「友人葬」に対応しています。友人葬は、故人が所属していたブロック長が「儀典長」を務め、遺族、友人、同志などで故人の冥福を祈って「お題目」を唱えます。また戒名がないので、俗名のままの葬儀になります。
 

湯灌の儀
  「湯灌の儀(ゆかんのぎ)」とはお棺に納める前に、亡くなった方の体を湯水で洗い清めるという儀式です。

あの世への旅立ちを前にした故人のために、この世での疲れや苦しみを洗い流すというもので、来世での生まれ変わりの準備とも言われています。このような宗教的な意味のほかに、病院での療養生活が長くお風呂に入れなかった方に、最後のお風呂でサッパリとしてもらいたい、サッパリさせてあげたいという家族の気持ちから行ったものです。ですから宗派を問うものではありません。

昔の湯灌はたらいに湯水をいれて家族の手でおこなわれていましたが、今では湯灌専門業者が特殊車両で訪れて専属スタッフの手によって執り行われます。湯灌を希望する場合は葬儀社から業者に連絡します。費用は10万円から15万円くらいになります。

湯灌の内容は、体全体の洗浄から洗髪、洗顔、顔そり、髭剃り、整髪、爪きりをしたあと女性は薄化粧を施し、着替えをさせて旅立ちの準備をします。
 

臨済宗
  「臨済宗(りんざいしゅう)」は臨済義玄(りんざいぎげん)を宗祖とする宗派で、妙心寺派、健仁時派など、たくさんに分派しています。臨済宗の教えは、人の心に働きかけ、自ら生まれながらにそなえ持つ尊厳、本質を悟り、その尊さを把握することにあります。

臨済宗は禅宗で、看和禅(かんなぜん)という行をします。これは師匠が「公案」という問題を出し、弟子が体全体を使って理論を越えた答えを見出すものです。それから「参禅」を行い師匠と弟子が一対一で対面し、弟子が出した答えを検証確認していきます。師匠と弟子が対面するのはお釈迦様が弟子たちに継承していった形にならったものです。臨済宗では「あらゆる命との共存に感謝するため、まつる神仏の数はさまざまで、経典に依存することもありません。
 


  「鈴(りん)」は仏具で仏様にお参りするときに、専用の「りん棒」を使い鳴らすものです。

普段各家庭で、仏壇に手を合わせるとき鈴(りん)を鳴らしますが、葬儀のときは鈴を鳴らすのは僧侶だけになります。鈴を鳴らすとき、内側か外側どちらを鳴らすのかは宗派によって違うので菩提寺に確認するのもいいでしょう。

鈴には小さい座布団のようなものを敷き、鈴台の上において使うものです。大きなものは磬子(けいす)といいます。鈴の価格は大きさによって変わります。主に真鍮で作られ侘ものが主流ですが、中には純金製のものもあります。
 

霊安室
  「霊安室(れいあんしつ)」は病院などで一時的に遺体を安置しておく部屋のことを言います。

今ではほとんどの方が病院でお亡くなりになるので、病院から葬儀社へ遺体の搬送を依頼して、大好きな自宅に戻る方が大半を占めています。中には住宅事情で自宅に戻るのが難しい場合もあります。そのような事情から葬儀、火葬までの間、自宅以外の場所に遺体を安置することも
あります。葬儀式場の霊安室に安置する場合、遺族が一緒に過ごせる施設が整っているので、ゆっくりと故人とお別れができます。

葬儀式場の霊安室が都合がつかなかった場合、火葬場の霊安室を利用するようになります。
火葬場霊安室の使用についてはいくつかの規制があります。火葬場によって規制内容は異なりますが、受け入れ時間が決まっていることや納棺された状態でなければならないことや遺族の付き添いが禁止されていること、また火気厳禁なので、ろうそくや線香をたくということはできません。
 

霊柩車
  霊柩車(れいきゅうしゃ)は、ご遺体を搬送するための車のことをいいます。

「貨物自動車運送業法」により国土交通省の許可を得ていない葬儀業者がご遺体の搬送を行い料金を受け取ることは法律違反になります。業者が「遺体搬送料金を受け取っていない」としても「遺体搬送」は葬儀費用に含まれているのでやはり違反とみなされます。
霊柩車で以前、よく見かけていたものは「宮型(みやがた)」と呼ばれたもので野辺送りのときに柩をいれていた「輿(こし)」をあらわしています。最近ではこの宮型の霊柩車より外見からは霊柩車とは判らないシンプルな「洋型」の霊柩車を希望する人が増えています。また遺族も一緒に乗れる「バス型」の霊柩車もあります。
 

霊祭 (神道)
  仏式の法要にあたるものを神道では「霊祭(れいさい)「御霊祭(みたままつり)」といいます。

故人が亡くなった日から数えて10日ごとに十日祭、二十日祭、三十日祭、五十日祭をおこないます。
仏式で言うところの忌明けになる「五十日祭」は特に盛大に丁寧におこなわれます。霊祭は自宅や墓前、斎場などで行います。神職を招き、祭壇に供物を供え全員で玉串奉奠をおこないます。
なくなってから1年後の行われる「一年祭」は仏式の「一周忌」にあたります。近親者、友人知人を呼び盛大に行われます。一般的には「一年祭」までは「神葬祭」の延長と考えられており、この「一年祭」が終わりそれ以降の儀式では「祖霊祭」と呼び名が変わります。これは故人の御霊(みたま)が守護神の仲間入りをしたと考えられるからです。神道のお墓は「奥津城(おくつき)」といい、お参り
する時は線香は供えませんが、米、塩、水、酒、榊と生前故人が好きだったものをお供えし、拝礼します。
 

霊璽
  霊璽(れいじ)は仏式の位牌にあたるものです。神道では故人の御霊(みたま)を霊璽(れいじ)に移し家族の手によってお祀りすることで故人はその家の「守護神」となり子々孫々にわたり守ることができると考えられています。

霊璽の形は様々ですが白木の角柱の霊璽に錦布(布でできた覆い)がついたものが一般的なものです。戒名は仏式につける名前なので、神式の霊璽には「霊号(れいごう)」を記します。
氏名の下に命(みこと)とつける「○○○○命」という霊号が最も多く、命の前に男性は大人(うし)、女性は刀自(とじ)、子供は彦や姫という字がつけられます。霊璽の表には「○○○○命之霊」と記し、裏面は帰幽(亡くなった)した年月日、故人の亡くなった年齢を記します。
 

六道輪廻
  仏教では人が死ぬということは「この世での命が終わる」ということで、その「命」は新しい世界に生まれ変わるといわれています。そしてその「生まれ変わり」は終わることなく果てしなく繰り返され「輪廻(りんね)」となります。今生きている世界での「行い」によって六つの世界の中から生まれ変わり、その先が決まるとされておりその世界のことを「六道」といっています。

六道とは「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の六つのことをいいます。天道は神がすむところで、人間道は今現在私たちがいる世界です。修羅道には「修羅(鬼に近い神)」がいる世界で、争いが絶えません。畜生道は動物の世界で、欲深い人が餓鬼道で、罪深い人は地獄道で閻魔大王の裁きを受けて8種類の地獄のいずれかにおとされるといいます。昔から悪いことをしたら
地獄に落ちるといわれていたのはこのことからなのでしょう。
 

六文銭、六道銭
  死者が三途の川を渡るときのためのお金、または天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の「六道」に一文ずつおいていくために死者にもたせるお金という言い伝えから、柩に入れるのが「六文銭(ろくもんせん)」で、「冥銭」ともいわれています。

火葬が99%以上で行われている今は、硬貨を柩に入れることが禁止している自治体が多くあり、最近では紙で作られた「六文銭」を柩に納めるようにしています。
 

別れ花
  最後のお別れとなる出棺の前に、故人に供える花のことを「別れ花」といいます。

遺族や親族のみでおこなわれるもので、故人に対面しながら一輪ずつ花を供えて遺体の周囲を飾ります。そして故人の冥福を祈ります。「別れ花」の花は、葬儀会場に飾られた花を使うことがほとんどですが、別に用意する場合もあります。「生前故人が好きだった花を供えてあげたい」という希望で、その花の種類があまり葬儀には使用しない花の場合は、別に用意をします。

使用しない花として、ひまわり、バラ、チューリップなどがあります。よく「とげのある花はいけない」と言われますがどんな種類の花でも、これからあの世へと旅立つ故人の霊魂を慰めることになんら変わりはないと思います。また、無宗教葬のときに、故人に哀悼(ついとう)の意を示して捧げる花のことを「別れ花」ということもあります。

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